映画『変な家』とは異なる没入感も いま改めて読むべき小説『変な家』の魅力とは?
公開前から話題になっていた映画『変な家』が、想像を上回るレベルでの盛り上がりを見せている。
本作は、作家でYouTuberの雨穴による同名小説を映画化したもの。2021年の刊行からどこの書店でも平積みで展開されてきたものとあって、誰もが一度はこのタイトルを目にしたことがあるのではないだろうか。それから絶えず売り上げを伸ばし続け、2023年のもっとも売れた小説にまでなったらしいし、今年に入ってからは文庫化もされた。映画が話題のいま、改めてこの小説の魅力はどこにあるのか考えてみたい。
まず最初に述べておきたいのが、小説版と映画版とでは、その読後感がまるで違うということだ。
そもそもこの『変な家』は、Webメディア「オモコロ」に雨穴が『【不動産ミステリー】変な家』と題した記事を書いたところからはじまった。その後に彼が自身のYouTubeチャンネルに同名の動画を投稿。一気に世の中にこのタイトルが広まった。Web記事も動画も、雨穴自身の視点によって“間取りのおかしな家”について語っていくもので、間取り図に配された情報から、その“おかしさの理由”を考察していくスタイルを取っている。
だが小説版では、“オカルト専門のフリーライター”を名乗る著者が、実際に「変な家」の秘密に迫っていくさまが描かれている。Web記事や動画をベースに、小説として物語を立ち上げているわけだ。そこでは雨穴が語っていたことの、その先までもが描かれている。
いっぽうの映画版の主人公はYouTuber。こちらも“間取りのおかしな家”に迫っていくという物語の入口は変わらないが、小説版のさらにその先までをも描いている。結末が異なるのだから、読後感が違うのは当然。しかもホラーテイストであり、このジャンル性の強さがより映画を話題の一作へと押し上げているのだろう。
Web記事と動画は、語り手が自宅と思しき場所にいながら客観的に“間取りのおかしな家”の秘密に迫るが、小説と映画の主人公は実際に足を使う。つまり、そこには彼の主観による物理的な移動というものがある。読者も観客も情報を追っているうちに、自然と物語に没入することになるはず。「移動」を描くのならば当然ながら映像のほうに軍配が上がるわけだが、小説は“ノンフィクション”の体を取っている。これが小説版の最大のポイントだ。そこには著者が見聞きした情報が間取り図とともに記されているため、私たち読者はこれがあたかも日本のどこかに実在するものかのように錯覚してしまう。いや、おそらく実在するのではないか。これだけの民家があるのだから。