映画監督、プロデューサー、心理学者は「高畑勲作品」をいかに解読したかーー第2回新潟国際アニメーション映画祭レポート

片渕須直×横田正夫
「高畑勲という作家のこれまで語られていなかった作家性」

 描かれたもののすべてに意味があり、監督の考えが反映されている高畑作品への理解から、それではどのような狙いがあるのかに迫ったのが、19日に開かれた片渕須直監督と、臨床心理学者でアニメーション研究家の横田正夫によるトーク「高畑勲という作家のこれまで語られていなかった作家性」だ。

片渕須直監督(左)と横田正夫さん(右)

 横田は、TVアニメ『アルプスの少女ハイジ』でハイジが都会に行って幻想を見るようになる状態について、誰も救いがない状態では幻想が救いになる心理的に順当な反応であることを指摘。「そうした異常体験を子供向けアニメの中で的確に表現していて、これは凄いと思いました」と振り返った。

 『かぐや姫の物語』についても、異境から送られてきた姫が月に帰る物語といった認識の裏に、家族からも友人からの浮いてしまって追い詰められている心理が姫にあり、それが抱きすくめられても幽霊のようにすり抜けてしまう描写につながっていることを指摘。背景に「家庭内での暴力や虐待に匹敵することが起こっています。ファンタジーに見えて現代の家族における問題を語ってくれている可能性があります」と話して、『かぐや姫の物語』に込められたメッセージを読み解こうとした。

 『ハイジ』については、最終回近くでクララが車椅子から立ち上がって歩き出す場面が感動的だと賞賛されているが、横田はその後で、クララが倉庫から車椅子を引っ張り出して乗ろうとして、壊してしまう場面に着目。「クララは意識的にまた車椅子に乗りたいと思っていますが、無意識的には壊さなければと思っています。そうした意識と無意識の両構造を描いていて、矛盾した心理がよく出ています」と話して、子供も含めた登場人物の心理をしっかり描いたアニメであることを強調した。

 片渕監督は、クララが山に来た当初は車椅子から離れず乗り回すことを挙げ、「降りたら立ってあるけるかもしれないのに、乗り回しているクララが振り向いた時、ハイジを見る目が意地悪な笑顔だったんです」と指摘。最初に登場した時からハイジとは仲良しに見えたクララにしては「不合理を感じます」と話し、そうした不合理な部分が高畑作品にはいろいろと存在していて、どういう意味かを考える余地がまだまだあることを訴えた。

 『火垂るの墓』で叔母さんの家を出て横穴に移った清太と節子が、最終的に2人とも死んでしまう悲劇的な展開についての言及もあった。映画は現代の駅から始まり、過去へと遡り、清太の幽霊が過去の思い出を振り返り、時々の判断を後悔しているような姿を見せる描写を挟んでいく構成になっている。その中で、横穴での暮らしに幽霊が後悔している雰囲気がないことを挙げ、横田は「2人にとって非常に美しい時間を過ごせたのでは」と指摘。その決断を受け止める必要性があることを示唆した。

 節子を死なせてしまった清太の行動が、人道的に正しいかというと、必ずしも正しいとは言えないが、それも含めて人間を描こうとした作品だと言えそう。片渕監督は、「高畑勲という人は、人間を描くということですばらしい作家だといった定評がありましたが、それでは人間を描くとはどういうことなのか。横田さんの話を聞くと、状況的におかしなことになった時の有様が的確に描かれていることが、人間を描くひとつの方法のような気がします」と話して、高畑監督の視野の広さや思考の奥深さを考えながら、作品を読み解いていく必要があることを示した。

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