63歳の主婦が大谷翔平にならって「マンダラチャート」を埋めてみたら……? 垣谷美雨のタイムスリップ小説が面白い
あなたは「マンダラチャート」というものをご存知だろうか。9×9マス、合計81マスを描き、その中心に目標を記す。そして、その周りのマスに、目標を達成するために必要な要素を洗い出し、一つずつ行動に移していくというツールだ。
あの大谷翔平選手が高校生のときに作成していたのだと、マスコミで取り上げられたことでも有名になった。大谷選手のマンダラチャートの中心には「ドラ1 8球団」と記入されていた。その周囲には、それを実現するために必要な要素として「体づくり」や「変化球」など野球に必須なスキルが記されている。それは、わかる。だが「人間性」や「運」といった項目があることに度肝を抜かれた人は少なくなかったはずだ。こんなに若いときから人生の目標を見据え、それに向かって何をすべきかという視野がクリアだったのかと。
そんな大谷選手のマンダラチャートに衝撃を受け、自分の人生と照らし合わせて「落ち込んでしまった」と63歳の主婦が言ったら、あなたはどう思うだろうか。「大谷選手と自分を比べるなんて」と笑ってしまうだろうか。あるいは「もとから恵まれているものが違うんだよ」と諭すだろうか。小説『マンダラチャート』は、63歳の主婦である雅美が夫から「大谷選手と自分を比べて落ち込む主婦なんて滑稽だよ。こっちまで恥かくよ」と嘲笑われるところから始まる。
著者が『老後の資金がありません』や『もう別れてもいいですか』の垣谷美雨だと聞けば、その夫の嫌な言い方の解像度が高く描写されているのが想像できるのではないだろうか。誰もが幸せになろうと努力して生きているのに、気づけば不満で息苦しい毎日を送っている。そんな女性のモヤモヤを鮮やかに描いていくのが、読み手としては気持ちいい。
60代の自分が今さら何を目標に掲げても実現不可能だ。そんなことを真剣に考えることさえ、「傑作だ」なんてバカにされそうだ。でも、もし、もしもこの63歳まで生きた人生経験をそのままに学生時代に戻れるのなら。自分の目標に向かってまっすぐ生きたい。「結婚が女の幸せ」と言われようとも、結婚はしない。もちろん、子どもも産まない。自分自身の人生を生きるために。一度きりの人生を精いっぱい自分のために生きよう、と。
そんなことを考えていた雅美の身に、奇妙な感覚が走る。そして気づいたら、1973年(昭和48年)へとタイムスリップしていたのだ。頭脳は63歳、体は13歳の中学2年生になった雅美は、令和の時代ではもうすでに忘れかけていた男尊女卑な社会のムードにクラクラしてしまう。今年流行語大賞を受賞したテレビドラマ『不適切にもほどが!』(TBS系※通称『ふてほど』)では1986年と2024年をタイムスリップするが、そのときよりもさらに時代が遡ると思っていただければ、昭和の記憶が遠くなっている人にも令和とのギャップの大きさが伝わるだろうか。
あのドラマでは阿部サダヲ演じる「昭和のおじさん」こと市郎が主人公として描かれていた。だからだろうか、コンプラを重視するあまり言いたいことも言えない世の中になっている令和の時代にズバッと言い切る清々しさだったり、令和の男子中学生・キヨシ(坂元愛登)が「テレビでおっぱいが観られる」と無邪気に喜んでいる様子を愛らしく感じられるシーンがあった。ともすれば、「おおらかな時代だった」なんて微笑ましくさえ思える展開だったが、本著で描かれる「令和のおばさん」である雅美が昭和に戻ったときの生きづらさといったらない。
女性だからという理由で、学業も就職もいくつもの壁が立ちはだかる。今では考えられないほど、女性が一人で幸せを掴むのが難しかった。同じ時代を生きてきた女性たちなら「そうそう、そうだった」と思うのだろうか。それとも「もっと酷かった!」と古傷をえぐられる気持ちになるのだろうか。だが、同じ女性であってもその時代の世相を上手く利用してしたたかに生きた女性もいただろう。どの時代も、生きるのが上手な人はいるものだ。
そういう意味では、雅美はどちらかといえばお人好しで、人から搾取される側になる隙の多いタイプだ。「人生2度目なら!」と意気込んでいたものの、自分の思うように生きるという目標を達成する道のりは想像以上に遠い。マンダラチャートの81マスなんかでは足りない勢いだ。