『SLAM DUNK』宮城リョータの原点が明らかに? “日本バスケの革命と言われた男”の立ち向かう姿勢
社会現象的な大ヒットを記録した映画『THE FIRST SLAM DUNK』(原作・脚本・監督/井上雄彦)。
映画の主人公が桜木花道ではなく、宮城リョータだったことに驚いたファンも少なくなかったかもしれないが、原作ではあまり掘り下げられなかった彼の内面が丁寧に描かれた、素晴らしいビルドゥングスロマン(成長譚)に仕上がっていたように私は思う。
なお、その宮城リョータについて、作者の井上雄彦はこんなことをいっている。
少し独特な沖縄のバスケにはもともと注目していたんです。アメリカの影響を受けているのもありますが、小柄な選手が運動量豊富に素早く動き回る。僕が高校生になる数年前に“辺土名(へんとな)旋風”というのがあった。平均身長169cmの沖縄の辺土名高校がインターハイで3位になったんです。とてもおもしろい存在で。だから沖縄がルーツで背の低いガード、というキャラクターイメージは早い段階からありました。だから苗字も沖縄に多い“宮城”にしたんです。
~『THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE』(集英社)所収「井上雄彦ロングインタビュー前編」(文・伊藤亮)より~
ちなみに、その時(1978年)の辺土名高校バスケ部を率いていたコーチの名を、安里幸男(あさと・ゆきお)という。
安里幸男は、1953年沖縄生まれ。本格的にバスケットボールを始めたのは中学時代からだったが、高校を卒業する頃にはすでに指導者の道を志していたようだ。
前述のように、1978年には、辺土名高校バスケ部をインターハイで3位、また、1991年には、再びインターハイで、北谷高校バスケ部を3位に導いている(その他、国体の沖縄少年男子監督、全日本ジュニアチームのコーチなどを歴任)。
そんな“名将”の波乱に満ちたバスケ人生を綴った自伝が、昨年末に刊行された。
『日本バスケの革命と言われた男』(安里幸男[文・内間健友 長嶺真輝]双葉社)である。
ハンデがあるからといって諦めることほど、つまらないことはない
『日本バスケの革命と言われた男』には、いくつかの山場があるが、とりわけ、前述の“辺土名旋風”――厳しいコーチの指導のもと、上背のない“超速攻”型のチームが、全国の強豪校に果敢に挑んでいく様子は、まるで白熱した少年漫画のクライマックスシーンを見ているかのようだ。安里はいう。「ハンデがあるからといって諦めることほど、つまらないことはない」と。
たとえば、『SLAM DUNK』の終盤――インターハイの山王工業戦で宮城リョータが、「ドリブルこそチビの生きる道なんだよ!!」といって自らに喝を入れる場面があるが、そうした1つ1つの演出にも、多かれ少なかれ“辺土名旋風”の影響があるのだろう。
いずれにせよ、『SLAM DUNK』でも時おり、監督の目線で物語が動いていくことがあるが、本書では、それが最初から最後まで続いていると思えばいい。そう、本来は選手たちのメンター(導き手)であるはずの監督(コーチ)たちもまた、実は、日々“成長”しているのだ。
「マキランドー(負けないぞ!)」とは、本書にたびたび出てくる沖縄の言葉の1つだが、大事なのは、困難から逃げるのではなく、常に立ち向かっていこうとするアティチュード(姿勢)なのである。