「あたたかな家庭なんて、ほとんどの人にとっては幻想」 柚月裕子が家族小説『風に立つ』に込めた想い

柚月裕子『風に立つ』インタビュー

悲しみの連鎖が起きてきた土地

ーーこれまでと違う題材を、故郷を舞台に描いたことで、なにか発見はありましたか。

柚月:意外と私は岩手を恋しがっていたのだな、と思いました。生まれ育った土地には、いい思い出ばかりではなく、苦くていやなものも沁みついているものでしょう。だから、最初はやっぱり、ためらいがあったんです。書いているうちに心が重たくなったらどうしよう、どんな感情を引き起こされるだろう、と。だけど、郷土料理や岩手山の情景、チャグチャグ馬コのシーンなどを書くうち、やっぱり懐かしさがこみあげてきて。自覚していた以上に故郷のことは覚えているものだし、やっぱり自分のルーツはここにあるのだということも実感させられました。

ーーその想いと、家族というテーマがうまく重なったからこそ、こんなにも読み心地があたたかいのかなという気がします。

柚月:そうかもしれません。どの土地を舞台にするにしても、私は「この土地ならありえるだろうな」と読者のみなさんが感じてくれる、リアリティを大事にしたいと思っていて。岩手……というか、東北の人たちは昔から自然と戦い続けてきました。東日本大震災は記憶に新しいですが、昔から命にかかわるような寒さのなか、土地を開拓し、冷害に立ち向かい、ときに身売りをしながら生き延びてきた過去があります。

ーー悲しみが沁み込んでいる土地、と孝雄が岩手を表現する場面もありますね。その言葉は、孝雄自身の過去にも繋がっているわけですが……。

柚月:悲しみの連鎖が起きてきた土地に生きているからこその人間模様を、しっかり描きたい、描かなきゃいけないと思っていました。

ーー孝雄の過去を象徴するのが『グスコーブドリの伝記』。やはり岩手出身の宮沢賢治の作品です。

柚月:岩手といえばやっぱり宮沢賢治ですよね。私も大好きで、作品は全部読んでいるんですけれど、引用するかどうかは迷っていたんです。でも、この作品はとくに岩手の厳しさを描いたものですし、結果的に、悟が孝雄と向き合うカギともなってくれたので、書いてよかったと思います。

ーー宮沢賢治のどんなところがお好きなんですか。

柚月:まずは寒さの描き方ですね。『雪渡り』という、子どもたちと子狐の交流を描いた短いお話があるんですが、しんしんと降り積もる雪の中を歩いていく描写がとてもよくて。『風の又三郎』や『なめとこ山の熊』など、みちのくに生まれ育ち、土地に根差して暮らしていたからこそ生まれた作品だと思うんですよね。まろやかで飾らない文章や独特のオノマトペは読んでいて心地がいいですし、ロマンも感じます。今のように娯楽が少ない時代、冬が長い東北で見るものといえば空や雪景色しかないなか、炬燵に入りながら「こんなふうだったらいいのに」と夢想するものがかたちになったのかもしれないなあ、と。

人間なんて、そもそもカッコいいものじゃない

ーー孝雄だけでなく、春斗の父親も過去に背負うものがあり、だからこその今なんだ、と後半で明かされていくところが好きです。それはおっしゃるとおり、岩手という土地を舞台にしたからこその重みだと思いますし、その重みが息子たちとの関係をねじれさせているのも事実なのですが、それでもどう生きるか、どう向き合うかということを考えさせられて。

柚月:人のいちばん尊い姿って、前に進んでいる姿ではなく、進もうとする姿だと思うんです。ゴールにたどりつけるかどうかではなく、はいつくばってでも半歩前に足を踏み出す勇気をもとうとする姿は、不格好でも美しい。この小説に出てくる人たちは、誰ひとりカッコよくなんてないんだけれど、いろんなものを受け止めながら胸に思いを秘め、もがく彼らの姿が愛おしいなと思いながら書いていました。

ーーカッコよくない自分を受け止め、そういう自分も曝け出しながら生きる、というのはすごく大事なことなんだと、この小説を読んでいると思います。お互いに「お前、カッコ悪いなあ」と言いあいながら、でも、だからこそ補い合って生きていけるというか。

柚月:人間なんて、そもそもカッコいいものじゃないと思うんですよ。どろっとした感情は誰しも抱えているし、きれいなところだけを見せたいと願うでしょうけれど、それは無理。誰より自分が一番、自分のかっこ悪い部分を知っているから。でも、だめなところもカッコ悪いところも人によって違うから、おっしゃるとおり、手をとりあって生きていけるのかもしれませんね。この小説に出てくる人たちも、それぞれにカッコ悪いところを持っているからこそ、対比的に魅力が浮かび上がってくるのかもしれない。

ーーいまだに父親の愛情をほしがる悟は幼くてカッコよくはないけれど、だからこそ春斗に寄り添うことができるし、それは彼の美点でもありますよね。春斗の父親も、外面だけ気にして息子に向き合えないのはカッコ悪いけど、だからこそ八重樫と、とある話で少年のように意気投合する場面はとても愛おしく見えました。

柚月:春斗の父親のその描写は私にとっても思い入れが深いです。孝雄もそうですが、誰かの親という役割ではなく、一個人としての顔を持って生きることって、すごく大事だと思うんです。家族って、役割を通じてだけ相手を見るとこじれてしまうところがあって。まじめな人ほど、一生懸命役割を演じようとして、本来の在り方からそれてしまう。春斗の両親も、親としてのつとめを果たそうとしすぎなんですよ。そうではなく、ただ楽しそうに生きている姿を見せるだけで、子どもというのは案外、救われるのかもしれない。親の役割を離れた自分は、実はこういう人間なんだよ、ということをときに伝えることができたら、お互いに苦しくならずに繋がることができるのかも、と思います。

ーー補導委託の制度はきっと少年たちに必要なんだろうな、と思ったのは、春斗が息子という役割を脱いで、個としての自分をつかんでいく姿が描かれていたからでした。チャグチャグ馬コに出会って彼が変わっていくのもよかったです。チャグチャグ馬コ(※)、見たくなりました。

※色とりどりの衣装や鈴を身にまとった馬を連れて神社まで行進する、岩手の毎年恒例行事。

柚月:ぜひぜひ、見にきてください! 競馬で走るようなスマートなサラブレッドではなく、農耕馬なのでずんぐりしていて足も太いんですが、それがかわいいんです。鈴がチャグチャグって鳴るんですよ。仔馬も一緒に歩くから、途中でお腹がすくと、お母さん馬のところに行ってお乳を飲んだりもする。風情があって、大好きです。作中にも書きましたが、チャグチャグ犬コってうのもあって、大型犬に飾りをつけて飼い主の方が歩いている姿もいいんですよね。観にきて、盛岡冷麺も食べていってください。

ーー味ぶかしとか、吉田屋のお餅とか、気になる郷土料理の描写もたくさんありました。

柚月:全部、とってもおいしいですよ。今作は、未成年に飲酒させるわけにいかなかったから、お酒はあんまり出てこなかったけど、かわりにお料理をいろいろ出してみました。でも、ババヘラアイスってネーミングは、よく考えるひどいですよね。おばあさんがヘラでつくるアイスだからって(笑)。季節的に書けませんでしたが、北上川を鮭が遡上する姿を取材中に見て、改めて命のたくましさを感じましたし、そこで心打たれたものが作品にも滲み出たんじゃないのかなという気がします。

ーー作中に「応援するのと味方するのは違う」というセリフがありましたが、登場人物たちのかかわりあいや自然の描写を通じて、読んでいる人たちの味方になってくれるような心強さのある小説でした。

柚月:誰しも、望んでいる自分になれなくて苦しむことはあるでしょう。でも、望んでいない自分のことも認めてくれる、何が会っても味方してくれる人が存在していることって、本当に救いになるんじゃないかと思うんです。私自身、人生の正念場を乗り越えようとするときに、応援者が千人いるよりも、たった一人でいいから味方だと思える人がいることが大事なんだと感じながら生きてきました。親が応援者ではなく味方になってくれたとき、きっとみんな、より強くなれるんじゃないかな……って、そんな思いも本作には込めたつもりです。血のつながりがなくても、味方になってくれる人たちを見つけていくことはできるんだよ、ということも。

■書籍情報
『風に立つ』
著者:柚月裕子
価格:1,980円
発売日:1月10日
出版社:中央公論新社

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