柚月裕子が語る、善悪の境の曖昧さ 「“何が正しいのだろう”という問いは延々と紡がれていく」

『月下のサクラ』柚月裕子インタビュー

 『朽ちないサクラ』から6年、シリーズ2作目の『月下のサクラ』が5月15日にリリースされた。主人公・森口泉は前作のラストの宣言通りに警察官になり生活を送っていた。そんな日々を過ごす中、会計課の金庫から約一億円が盗まれていることが発覚。その事件により泉は、思いがけない事態に巻き込まれてく……。

 今回、作者である柚月裕子に本作がシリーズ作品となった理由、泉が向き合う善悪の境目、そして人間の資質と成長などについて話を聞いた。(編集部)【記事の最後にサイン本プレゼンと企画があります。最後までお読みください】

善悪の境はどこにあるのだろうというのはずっと考えてきた

――『月下のサクラ』は、警察の元広報職員・森口泉が警察官となり、因縁のある内部の敵・公安に立ち向かっていく小説。広報職員時代を描いた『朽ちないサクラ』に続くシリーズ二作目です。以前「作家の読者道」(WEB本の雑誌)のインタビューで、シリーズ化しようと思って書いた作品はないとおっしゃっていましたが……。

柚月:今回も、もともと一冊完結のつもりだったんですが、『朽ちないサクラ』のラストで泉が「警察官になる!」と宣言してしまったもので……(笑)。ありがたいことに「今後の泉を見たい」という感想もいくつかいただいていて、『アサヒ芸能』さんで初の週刊誌連載のお仕事をいただいたとき、ふと彼女の存在を思い出して主人公に据えてみました。ただ、今作ではじめて手にとっていただく方にも楽しんでいただけるような構成にしています。

――前作では、警察の不祥事がスクープされ、自分が情報を漏らしてしまったのではないかと泉が慌てるところから始まりますが、今回も事件の発端は不祥事。なんと金庫で保管していた約1億円が紛失し、犯人を捜すうちに殺人事件に発展していく……という。

柚月:ご記憶にある方もいらっしゃると思いますが、数年前に、広島県警の金庫から大金が盗まれた事件がありました。当時から「いったい、どういうことなんだろう」と関心を抱いていて、いつか書いてみたかったんです。今回、改めてモチーフにしてみようと考えたとき、警察の暗部に立ち向かう、という意味でも、事件を追うのは泉がぴったりじゃないかと思いました。

――小説を書くときはいつも、キャラクターが先に思い浮かぶんですか?

柚月:いえ、私はストーリーが先に思い浮かぶタイプで、今回はたまたま事件と泉がうまい具合に結びついた、という感じですね。キャラクターを動かすためにストーリーをつくるというより、ストーリーを追ううちにキャラクターが想定とはちがう形で動きだす方が多いでしょうか。前作で泉は親友を亡くし、表向きの正義とはまた違う信念を貫く公安と対峙することで一種の絶望を味わいますが、それでも希望を捨てないどころか「警察官になる」とさらなる戦いに挑む決意したことは、私にとっても意外でした。私の書く作品では、どんな事件に巻き込まれようとも、主人公にはあくまで前向きでいてほしいので、その願いが反映されたのだとは思いますが。

――6年の月日を経て、もちまえの集中力を生かし、映像に関する記憶力を磨きあげた泉は、狭き門をくぐりぬけて「捜査支援分析センター起動分析係」に配属されます。監視カメラの映像を端から端までさらったり、文字どおり捜査を支援をするための分析を行う部署ですが、こちらを舞台にすると決めたのは?

柚月:これも実際に新聞記事で見かけたのがきっかけです。機動分析係の活躍が速やかな犯人逮捕につながった、みたいな文言を読んで、そういう部署があるんだ、と調べてみたら、情報解析のために専門的な知識や技術を集結したプロフェッショナル集団だということがわかり、これもまた、いつか書いてみたいなと思っていました。もちろん人の手でしか成しえない地道な捜査もあるけれど、AIなどを駆使して捜査を支援する存在は警察小説を書くうえでも欠かせないだろうな、と。

――もとは警察官になるなんて考えもしていなかった泉が、うまれもった才能ではなく、努力と根気で特性を磨き続けたことで才能を開花し、まわりからも認められていく姿に、事件の謎とは別のおもしろさがありました。

柚月:秀でた何かをもっている人って、意外と「自分には何もない」と思っていることが多いなと感じていて。それ以上に途方もない努力を重ねていらっしゃると思います。もちろん優れた資質をお持ちだとは思いますが、多くの人は、伸ばすべき自分の資質がどこにあるのかさえなかなか見つけられない。けれど何もない自分が、それでも何ができるのかを考え、試行錯誤のなかで見つけた可能性を磨いて、成長していく姿を描けたらなと思っていました。

――もちまえの集中力と、必死の努力で磨いた映像記憶力で、泉は署内の盗難事件を追いますが……。実際の事件をモチーフにして描かれるのは、オリジナルで事件を創り上げていくのとはまた違う難しさがあるのでは。

柚月:そうですね。ただ、犯人捜しと謎解きはミステリーにおいて非常に重要なパートですが、私はそれと同じくらい、真実を追い求める人間の姿を描きたくて。どんな事件・事故も人が起こしたものである以上、人と人との間に、あるいは組織との板挟みで、葛藤が生まれる。その詳細を紐解こうとする人間もまた、少なからず苦悩を抱くはずで……。事件の概要を構築するよりも、渦中のキャラクターをいかに懊悩させながら落としどころを見つけるか、が毎回、思案のしどころですね。

――特に警察内部に容疑者がいる場合、事件を追う側の葛藤はますます大きくなりますね。

柚月:善には善の、悪には悪の信念があって、罪を犯すにはそれだけの理由が必ず存在していますからね。犯罪とまではいかなくても、誰にだって「あの人とはなんとなく合わない」とか「あんまり好きじゃない」とかあるじゃないですか。でも、不当に自分を貶められたように感じる一言でも、なぜその人はそんなことを言ったのか、ということを私は考えたい。理由を知ったところで共感できない気持ちに変わりはないかもしれないけれど、知ろうとすることが他者を理解する第一歩なんじゃないのかと。『月下のサクラ』には敵も味方もいろんなキャラクターが登場しますが、読者の方がどんなにイヤな奴だと感じたとしても「ああ、だからなのか」と全員の背景をくみとってくださる作品になるといいな、と思いながら書いていました。

――どの立場にも理由があり、ときに善悪だけでなく正義と正義が対立することもある……というのはほかのシリーズでも書かれてきたことですよね。

柚月:善悪の境はいったいどこにあるのだろう、というのは昔からずっと考えてきたことで、きっといつまでも答えは見つからないのだろうなと思います。明確な基準と思われている法律でさえ、長い歴史のなかで変わり続けているし、科学的なエビデンスだって「これまで信じていたものは間違いでした」ということもある。けっきょく、自分が何を信じたいか、何を守りたいか、という個人の倫理に帰着するしかないんでしょうね。でもそれではやっぱり不安だし、揺れてしまうこともたくさんあるから、古今東西、小説が生まれ続けているのだし、私自身も書いている。「何が正しいのだろう」という問いは、延々と紡がれていくものなのだろうなと思います。

――『朽ちないサクラ』のラストにあった、とある公安関係者のセリフ……「百人の命とひとりの命、たしかに秤にかけることはできん。だが、秤にかけなければいけない立場の人間もいる。きれいごとじゃあ、国は守れん」は、まさに答えの出ない問いを、泉にも読者にも容赦なくつきつけました。それでも自分も警察官になろうと決めた泉は、今作でも「正義とはなにか」を探し続けています。

柚月:百人とひとり、そのどちらも自分と無関係の人であれば、数を基準に選べるかもしれないけれど、そのひとりが我が子や恋人といった自分にとって何にも代えがたい存在だったら、百人を犠牲にしてでも助けたいと思ってしまう人は大勢いるでしょう。人の生き死にに関わる機会はそうそうなくても、生まれたときは家族、そして学校、会社というように人は誰しも“社会”に属していて、そのなかで守らなければならない立場やルール、責任といったものがある。ただ、同じ社会・組織だったとしても人の数が多ければ必ず摩擦が起きて、価値観も正義もすれ違ってしまう。そのセリフを言った人の理屈が、泉の正義から見れば悪に見えてしまうように。でもその人はその人で、自分の使命を果たそうと必死なだけなんですよね。

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