「あたたかな家庭なんて、ほとんどの人にとっては幻想」 柚月裕子が家族小説『風に立つ』に込めた想い

柚月裕子『風に立つ』インタビュー

 柚月裕子の新刊『風に立つ』(中央公論新社)は、著者の生まれ故郷である岩手県の南部鉄器工房を営む家庭を舞台とした家族小説だ。父・孝雄は、問題を起こし家裁に送られてきた少年を一定期間預かる制度「補導委託」で春斗という少年を迎え入れるが、息子の悟はそのことに対して複雑な思いを抱き……。家族間における心の摩擦を、岩手県の郷土文化とともに丁寧に描き出している。

 ミステリー作家として知られる著者にとって新境地となった本作は、どのような背景から生まれたのか。また、生まれ故郷を舞台とした小説を描いたことで、どんな発見があったのか。著者に話を聞いた。(リアルサウンド ブック編集部)

些細なようで深刻なつらさを描く

ーー問題を起こし家庭裁判所に送られてきた少年を一定期間預かる「補導委託」という制度。本作は、その引受人に立候補した南部鉄器工房を営む家庭を舞台に、家族とはなにかを見つめ直す小説です。ミステリーの読み心地もありながら、あたたかな気持ちになる家族小説で、これまでの柚月さんの作品とは一味ちがった印象を受けました。

柚月裕子(以下、柚月):まさに、これまで書いたことがないタイプの小説を書いてみませんか、というご提案を編集者の方からいただいたんです。この小説の舞台である岩手は私の生まれ故郷でもありますが、今暮らしている山形を含め、あまりに自分と身近すぎるから、小説の舞台には選んでこなかったんですよ。なんとなく、気恥ずかしくて。でも、あえて舞台にしてみるのはどうですかと言われ、いい機会だから挑戦してみようと。

ーー少年の起こした問題や抱える事情が深刻すぎない、というのも柚月さんの小説にしては珍しい気がしました。

柚月:事件として扱われるようなものが多かったですし、だからこそ問題を解決するために積極的に動く立場の人たちも多く描いてきました。だけど、家庭に潜むのは虐待やネグレクトといったあからさまに問題と扱われるようなものばかりではない。むしろ、家族間でのちょっとした心の摩擦が、くりかえされるうちに目に見えないかたちで根深い問題に発展していく、ということも多いんじゃないかと思ったんです。

ーーそういう場合、問題として浮上しにくいからこそ、解決されないままずっと傷を負い続けることになりますよね。

柚月:たとえるなら、疲労骨折にようなものですね。事故に遭ったわけでも暴力をふるわれたわけでもないのに、小さな負荷が断続的に加わり続けることによっていつのまにか折れている。なんか痛い、なんかだるい、と思いながらも、病院に行くほどでもないからなかなか原因が見つからず、そのままにしているうちにいつのまにか大事になっているという……。今回は、そういう些細なようで深刻なつらさを描いてみようと思いました。

ーー今回、非行少年として描かれる春斗は17歳。父親が弁護士で経済的に恵まれた環境に育ち、自身も進学校に通っていたけれど、自転車の窃盗と万引きを行ない補導されます。対して工房で働く青年・八重樫は、過酷な環境で育ってきたことが窺い知れ、どちらかというと彼のほうが物語では描かれやすいですよね。

柚月:八重樫と違って、春斗はきっと新聞記事になるような罪は起こさないし、そう言う人たちと付き合うこともないでしょう。だから、八重樫が春斗を「恵まれているくせに」と思う気持ちはわかります。でも、じゃあ、恵まれていたらつらくないかというとそうではない。春斗も、彼のご両親も、どうすれば解決の糸口が見つかるのかわからないまま、もがき苦しんでいる。家族だからこそ、思いあっているからこそ、苦しんでいる人は多くいらっしゃるんじゃないかなあと思います。CMでみるようなあたたかな家庭、みんなが仲良く思いあえる関係なんて、きっとほとんどの人にとっては幻想なんですよね。

内面の共感性を得られるような物語に

ーー春斗の面倒をみる悟もまた、父・孝雄に対する屈託を抱えています。相談もせずに補導委託を引き受けた父に腹を立て、自分には優しくかまってくれたことなどないのに、春斗のことはなにくれとなく心配りする姿を見て、大人になった今でもイライラしてしまう。

柚月:春斗の問題だけでなく、悟の事情も重ね合わせることで、二つの家族が膠着状態から抜け出していく姿が描けたらいいなと思いました。悟は悟で、いつまでたっても「なんで俺のことをかわいがってくれなかったの」という想いを抱えている。春斗に対する「それなのによその子ばっかり!」という想いはだいぶ子供じみているようだけど、やっぱり人って、何歳になっても親の愛情は欲しいものなんじゃないでしょうか。

ーー息子という立場から、抜け切れていない感じですよね。結婚は考えられない、と言っていたけど、それはそうだろうと(笑)。でも、結婚していても親にふりむいてほしいと願い続けている人も、世の中には意外と多い気がします。

柚月:そうなんですよね。自分が親になったとしても、親を恋しく思う気持ちは消えないんじゃないかなと思います。ただ、悟は春斗という自分より幼い存在を得たことで、大人としてどう向き合うべきかを考えることになっていく。同じ「息子」として、春斗の悩みに共感するものを覚えながら、大人の立場で彼を導いていくこともできる。立場をいったりきたりしながら彼自身も成長していく姿を描けたらいいなと思いました。

ーーそんな悟に共感する読者は多そうですが、孝雄や春斗の両親の気持ちもわかるところがあって、すれ違いが切なかったです。

柚月:ありがとうございます。今回はできるだけ内面の共感性を得られるような物語にしようと思っていました。過去に家裁調査官を描く際に取材した経験から、少年たちの事情は千差万別で、目に見えるものばかりではないということもわかっていましたから。誰ひとり悪意があるわけではないのに、問題が起きてしまうことはあるのだということも。悟と春斗だけでなく、孝雄や春斗の両親の心情にも、読んでくださるみなさんが心を寄せてくださればいいなあ、と。

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