イーロン・マスクとスティーブ・ジョブズ、ピーター・ティールの違いは? 速水健朗『イーロン・マスク』評

速水健朗の『イーロン・マスク』評

世界のその後を決めたマスクの自動車事故

 本書でもっとも印象的なエピソードを取り上げる。マスクとピーター・ティールの出会いの場面である。両者は、メールを使った少額決済の事業ペイパルでタッグを組むのだが、元々は、マスクの立ち上げたXドットコムと、ティールらが始めたペイパルは、競合する小規模ベンチャー企業同士だった。それが合併という流れになるのだが、合併の条件でもめる。何でも一筋縄にはいかない、そして主張を曲げることのないマスクのことだから当然そうなる。

 マスクとティールが知り合って間もない頃、マスクの愛車にティールが乗る機会があった。ティールはマスクに「どのくらい走るのか」と、車についての質問をした。その直後に、マスクは車のアクセルを目一杯踏み込んだ。一瞬で車は加速したがリアのパーツが故障して急激なスピンをして土堤に激突したという。マクラーレンの軽量ボディーは、粉々になった。搭乗者の2人はともに宙に舞ったが奇跡的に無事だったという。しかもマスクに至っては、レッカー車がくるまでの30分が待ちきれず、オンラインミーティングを始めたという。ティールはあきれたが、マスクが、リスクを恐れずにアクセルを踏む性格であることを把握した。結局、Xドットコムとペイパルの合併話はまとまった。雨降って地固まるではないが、まさに九死に一生を得るといった大事故で両者は、互いの人間性の深い部分を知ったのだろう。

 このくだりで最高なのは、アイザックソンによるティールの記述である。彼は「自由意志の尊重を重視するティールはシートベルトをしていなかった」と書いている。政府の規制も国境が隔てる枠などあらゆる制限を嫌い、自由なビジネスを志すティールは、自分を縛るシートベルトすらも嫌っているというのだ。

マスクとティールの共通点、対立点

 イーロン・マスクとピーター・ティールは、決して一枚岩の存在ではない。マスクは徹底した自由競争経済の信奉者だ。例えば参入するロケットの打ち上げ事業のスペースXは、ロケット部品の徹底的な内製化を行う。宇宙開発に参入する他社の製造した部品は、高価だったからだ。宇宙開発は、NASAが定めた厳しい基準に諾々と従う巨大メーカーたちが居座る産業だ。そこに競争原理をマスクは持ち込む。内製でつくった部品で格安のロケットを打ち上げ、失敗しても次に挑む。当初は非効率でコストも見合わないが、それを繰り返している内にいつか成功する。そのときはマスクの勝利である。業界最安値のロケットメーカーになっている。マスクにとっての宇宙開発は、先端技術を競う場ではない。単に参入障壁に守られすぎていた変化可能性の多い一業界でしかなかった。

 ピーター・ティールの考え方は、マスクともひと味違っている。彼は、ITやウェブサービスの市場には、特別なルールがあることに気がついていた。GoogleやAmazon、マイクロソフトらは、市場において独占・寡占に近いシェアを保有し、絶対的な影響力を持つ。自動車の市場であれば、4,5社が共存するのが当たり前だが、ITではそれはない。まずはシェアで1位を取らないとうま味がないのだ。

 これは、三国志の諸葛孔明が「天下三分の計」でやったことの真逆の戦略である。天下三分の計は、弱小国家の蜀が生き残るために、一強の国家を牽制し、3つの国家がバランスを保った状況を引き延ばす戦略だった。史実かどうかはともかくとして。これは、中世の中国らしい長大な時間を見据えた戦略である。ティールであれば、まずは魏と呉を買収して、中国統一を試みる。すべてはその後になんとでもなるということ。

 ペイパルとXドットコムの合併は、まさにそんなティールの考え方が活きた事例だ。互いにユーザーを囲い込むために、多額の資金を投じていた。このままでは共倒れになる。両社は、まずはシェアで1位になるべく合併を目論んだ。ネット上での少額決済の分野。決して巨大な市場ではないが、小さな分野でもまずはシェアを奪う。それでペイパルは成功を収めた。

 プラットフォーム企業、多国籍企業の独占をどうEU、アメリカ政府が規制するか。これは現在の世界の最重要課題である。もしマスクとティールの自動車事故がもっと重大な事態をもたらすようなものだったら、世界は今と同じではなかったかもしれない。マスクもティールも事故に懲りてシートベルトを締めようとは思わなかったのだろう。自由意志を重視する信念と自らの強運を信じて疑わない態度がマスクやティールといった存在を生み出している。大事故だって無傷で切り抜けるような桁外れの強運の持ち主たち、世界一の車メーカーのトップの評伝のもっとも重要なエピソードが自動車の大事故というのは、皮肉なのか必然なのか、かみしめて読むべきエピソードだ。


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