浦沢直樹『PLUTO』原作・手塚治虫「地上最大のロボットの巻」をどうアレンジ? ポイントとなった「戦争」と「青騎士の巻」
鉄腕アトムはいかにして憎しみの感情を乗り越えたか
物語の中盤、プルートゥとの戦いに敗れたアトムは、再起不能の状態に陥る(科学省が総力を挙げた修復作業も空しく、テレビのニュースでは、「死亡が確認されました」と伝えられる)。
そこで天馬博士は、「憎悪」の感情をアトムに注入することにする。「おまえを生き返らせるためなら……私は悪魔にもなるよ……」――アトムはいま、60億の人格をプログラミングされた「完全なロボット」と等しい状態にあり、「あり得ない何かを感知して」無限にシミュレートしている人工知能を目覚めさせるには、「偏った感情」を注入するしかないのだ。
しかしそれは、「暴走」の可能性をはらんだ危険な手段であり、じっさい覚醒したアトムは、虚ろな表情で世界を滅ぼしかねない反陽子爆弾の数式を淡々と完成させていく。そして、人知れず巨大な憎しみを抱えたまま科学省から脱走するのだったが、彼は、雨のなか傘も差さずに追いかけてきた“育ての親”であるお茶の水博士の前で、静かに“自分”を取り戻す。「もう大丈夫です。お茶の水博士……」
良い場面だ。たぶん、この時のアトムは、“生命”の象徴である地を這うカタツムリを見つめながら、「憎しみからは何も生まれない」というゲジヒトの想いに触れたのだと思うが、それとは別に、ゆっくりと視界の片隅に入ってきたびしょ濡れの老博士の姿が、彼に本来の“こころ”を取り戻させた、という見方もできなくはないのだ。
たとえば第8話で、アトムがゲジヒトに(かつて自分は)「サーカスに売られたんです」と告白する場面があるのだが、その辛い日々から彼を救い出してくれたのは、他でもないお茶の水博士であった(※)。
※『PLUTO』では具体的に描かれてはいないが、手塚治虫の『鉄腕アトム』(「アトム誕生」)では、ロボットサーカスに売られていたアトムをお茶の水博士が引き取る様子が描かれている。
いずれにせよ、もし、人間と変わらないロボットがこの世に存在するなら、“彼”ないし“彼女”は、まずは天馬博士がいうところの「偏った感情」――すなわち、憎しみ、怒り、悲しみといった暗い感情に突き動かされることだろう。なぜなら、それこそが、「人間」だからだ。
しかし、それと同時に人間は、お茶の水博士のような他者を思いやる優しい心も持っている。また、憎しみや怒りや悲しみを乗り越える強さも持っている。だからこそ生き返ったアトムは、闇に落ちることなく、再びその「鉄腕」を正義のために振るうことができたのではないだろうか。
折しも世界各地で戦争が勃発しているいま、この『PLUTO』という作品がアニメになって広く配信される意義は、ことのほか大きいといっていいだろう。