手塚治虫 最後の言葉は「仕事をさせてくれ!」続きが気になる絶筆作品4選
平成元年(1989)2月9日は手塚治虫が亡くなった日である。この年は1月7日に昭和天皇が崩御し、6月24日には歌手の美空ひばりも亡くなっている。手塚の死はまさに昭和という時代の終わりを痛感させられる出来事だったといえる。
手塚は亡くなる直前まで仕事をしていたことで知られる。病院のベッドの中で『トイレのピエタ』という漫画の構想を練り、日記に記していたことは有名だ。さらに、最後の言葉が「仕事をさせてくれ!」だったという逸話もある。手塚の漫画にかける情熱は凄まじかったのだ。
さて、手塚は病に侵されながらも漫画の連載を行っていたが、死去に伴い絶筆になった作品が存在する。
まずは、「ビッグコミック」で連載されていた『グリンゴ』である。南米に赴任した日本人商社マンが主人公の作品で、この漫画が非常に惜しいのは、話がもっとも盛り上がるところで終わっている点だ。主人公の日本人(ひもと・ひとし)が南米の日本人村に行き、相撲のトーナメントに出ることになった。一癖も二癖もある強敵揃いで優勝の望みは薄いと考えられる中、日本は自分がかつて草相撲の横綱だったときに使った作戦があると打ち明けている。
いったい、その秘策とは何なのか。気になって仕方ないのだが、手塚の死によってついに明かされることはなかった。作品は櫓太鼓の音を聞いた日本が、大会に備え、朝風呂で汗を流して夕方まで寝る……と言ったところで終わっている。
ちなみに、本作は田中圭一によって2002年に『グリンゴ2002』としてリメイクされている。こちらもぜひ読んでみてはいかがだろう。
手塚が亡くなったとき、「ビッグコミック」は巻頭ページで追悼特集を行った。石ノ森章太 郎ら連載漫画家が追悼のコメントを寄せ、同誌に初めて手塚が連載した『地球を呑む』の第1話が掲載されている。
手塚治虫は無類の音楽好きである。原稿中にはクラシック音楽を流すこともあり、自身でピアノを弾くこともあった。そんな趣味が色濃く出ているのが『ルードウィヒ・B』だ。“楽聖”ことルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの生涯を漫画化したもので、手塚の死によって、ベートーヴェンが因縁の相手、フランツ・フォン・クロイツシュタインから重大な決断を迫られる場で中断してしまった。
ちなみに、手塚はベートーヴェンがお気に入りの音楽家であった。表現者として自身を重ね合わせることもあったようである。『ルードウィヒ・B』の単行本の巻末には、ドイツのボンにあるベートーヴェンの家を訪問した際のエッセイが毛収録されている。また、手塚のオカルト趣味が全開の『三つ目がとおる』には雲名(うんめい)警部というベートーヴェンを思わせる風貌のキャラクターが登場しており、思い入れの深さがよくわかる。
そして、「朝日ジャーナル」で連載された『ネオ・ファウスト』は、ゲーテの戯曲『ファウスト』を基にした漫画である。手塚は何度か『ファウスト』の漫画化を試みている。20代の頃に単行本『ファウスト』を出版、さらに40台の頃、舞台を日本に変更した『百物語』を描いた。『ネオ・ファウスト』は実に3作目となる漫画化である。
学生運動が盛んだった1970年の日本から物語が始まる。ノーベル賞候補にもなったNG大学の一ノ関教授は人生に悲観していた。そんな一ノ関の前に悪魔・メフィストが現れる。手塚は人生でやり残した、生命の本質と宇宙の神秘を解き明かすためにとメフィストと契約、若返りを望んだ。一ノ関が生に執着する姿は、しばし手塚治虫本人そのものであると語られることが多い。
本作に関しては手塚の下描きが残されている。単行本にも収録されているので、ぜひ見てほしい。下描きには鉛筆でセリフが入れられ、なぜか自動車のみがペン入れされているのだが、病と闘いながら原稿に向き合っていた手塚治虫の執念を感じるものになっている。メフィストが「先生の側近に三人のおもしろい者たちをはべらせます」と言い、やはり話が急展開しそうなところで終わっている。
これら3作品が一般的に手塚の絶筆とされる漫画であるが、これ以外にも手塚は数々の構想を練っていた。「大地編」が始まる構想があった『火の鳥』は数々の伏線が未回収のままになった。「カケルくん、勇気だ!」のセリフが有名なテレビアニメ『青いブリンク』も制作中であったが、本作はスタッフの手により制作が続けられ、完結している。
手塚治虫は、とにかく同時並行的に恐ろしいほどのスケジュールをこなしていた。生涯に描いた原稿は約15万枚ともいわれるが、その質・量ともに漫画の神様と呼ばれるにふさわしい業績を残したといえる。