重松清が考える、空き家問題と定年後のオヤジの生き方「自分を見ていても、アップデートできていない部分がいっぱいある」
オジサンは隅の方にいて、みんなにツッコんでもらう
――作中には「空き家は、廃屋じゃない」、「空き家ポエム」とか、空き家メンテナンスを生命維持装置、胃ろう、人工呼吸器みたいなものと喩えるなど、印象的な表現が多く出てきます。
重松:うちの実家もそうだけど、たまに行ったら窓を開けて通したりメンテナンスをする。家の生命維持をしている感覚があるんです。
――空き家へ行くことに関して「墓参りに似ている」と書かれていて、それは確かにそうだなと思いました。
重松:お盆に迎え火を炊かなきゃいけなくて、そのために帰るのかよと面倒に思ったりする。でも、家族が帰ってくるところは、やっぱりここだと感じるわけで。家って、変だよね。……でも、こういう内容の小説、ウェブメディアとあまり相性よくないんじゃないの?
――えっ。『カモナマイハウス』自体、孝夫がウェブメディアの記者に取材されるところから始まるじゃないですか。
重松:ああ、そうだった(笑)。あの記者のマッチ、僕は好きなんだ。若い人を書いていると楽しかったし、若い連中にツッコんでもらえるオヤジは、救われてはいないんだけど、いい立ち位置にしてあげられた。僕自身がそうやって生きていきたいんだと思う。オジサンは隅の方にいて、みんなにツッコんでもらう。それが定年の生き方だぞと(笑)。
――この小説は、アラ還が年下、年上の両方からのツッコまれることでエンタテインメントになっている。
重松:たくさんの世代を出したかったんです。主人公の孝夫と、離婚した白石さん、会社の同僚で独身の柳沢部長。そんな風に同世代の同じような立場のオヤジ3人だけだと、話が進まない。傷のなめあいというか、苦労の比べっこになっちゃう。僕はここ4、5年、アラ還の男を主人公にした話をわりと書いているけど、どうも話が動かないし、なんか内へ内へ入ってしまう。年老いるってなんだろうって、みんなで考えこんでしまう。
むしろ、若い人から「なにいってんの」ってポーンと頭をはたいてもらった方が楽かもしれない。漫才のようにツッコミがいてボケがいて、ツッコんでくれる人がいるのは、幸せなんじゃないか。孝夫さんだってマッチに会えてよかったはず。もしかすると、頭をはたかれることが、老いるということなのかもしれない。今回の小説を書きながら、そういう呼吸みたいなものを勉強しなくてはいけないと思った。そのへんは意識して、なるべく幅広い世代をお話に入れようとしました。
正解というものは、なかなかないでしょう。空き家問題だって、50年前だったら「お前、長男だろう。実家を空き家にするなんてけしからん」という発想だったかもしれない。逆にあと50年経ったら、持ち家という発想がなくなっているかもしれない。サブスクの発想というか家賃なんてそういうものだし、「家を持つのはリスクだ」が常識になるかもしれない。持ち家がなかったら空き家にもならない。
そういう意味で『カモナマイハウス』は、2020年前後のOSで作った小説です。だから、30年後に読み返したら古びていて、あの時代ってこうだったんだと思われるかもしれないけど、そこが大衆小説の醍醐味でもある。世につれていくというか、時代の世相を映す。若い人から見たら全然わからない小説かもしれないし、おっかけセブンみたいな上の世代からすると「なんだ、最近の還暦は。もっとガツンといえよ」と怒られるかもしれない。とはいえ、ツッコまれるのも、それはそれで楽しいんです(笑)。
■書籍情報
『カモナマイハウス』
著者:重松清
発売日:7月20日
価格:1,980円
出版社:中央公論新社