【注目の漫画レビュー】もし自分の家族がいじめの加害者だったら……誰もが気を引き締める『娘がいじめをしていました』

 いつの時代もいじめ問題は世間を騒がせている。小学校、中学校、高校、そして職場。そのすべてでいじめに遭遇しなかった人たちは幸運だ。いじめに対するニュースを目にするたび、人々は被害者に同情して加害者を非難する。

 しかし私はときどき思う。いじめっ子を非難する大勢の人の中に、もしかすると昔いじめの加害者、もしくは傍観者だった人もいるのではないかと。自分自身、小学校のころいじめの被害者であり、加害者や傍観者をいまだに許せていないということもあるかもしれない。

 漫画『娘がいじめをしていました』(しろやぎ秋吾)は、他人事であり、被害者に寄り添っていた読者を被害者側の家族と加害者側の家族、両方に引き寄せ、いじめを自分事としてとらえさせる。そして問うのだ。

「あなたはほんとうに、被害者の立場に立てますか?」
「加害者や傍観者だったことはありませんか?」

“謝罪”で終わらないリアリティ

 本作にはどこにでもいるようなふたつの家族、赤木家と馬場家が登場する。どちらの家庭も小学5年生の娘がいて名前は赤木愛と馬場小春、親も覚えているほど親しかった幼なじみであり、赤木家も馬場家も娘がいじめとは無縁の毎日を過ごしていると信じ切っていた。

 ある日、突如としてそんな平和に見えた毎日に亀裂が入る。

 小春の母親・千春がいつもと様子の異なる小春をドライブに連れ出したところ、小春は泣きながら愛にいやがらせをされていることを打ち明けるのだ。やがてケガだらけで帰ってきた小春を見て母は愛の母である赤木加奈子に連絡をとる。

 加奈子の衝撃は非常に大きいものだった。なぜなら若いころ、加奈子自身がいじめの被害者であり、今もって自分をいじめた相手を許していないからだ。夫であり愛の父親である赤木祐介は「悪気があったわけじゃないし」と戸惑いながら娘を許そうとする。ここで祐介に同調せず愛を責める加奈子に、私たちは感情移入せざるをえない。

 いじめをしている加害者の親が、いじめの被害者になったことがある。これは決して珍しいことではないのだろうか。一度は赤木家の謝罪を受け入れた馬場家だったが事態はそれだけでハッピーエンドではなかった。私はここにも本作のリアリティを感じる。

 愛のいじめはSNSに載り愛の写真入りで拡散され、小春は小春でいじめられた心の傷が癒えず学校に行けなくなる。簡単にこのいじめ問題を終わらせないところがこの漫画をほかのいじめ漫画と一線を画したものにしている。直接的ないじめの描写よりも家族の反応に焦点をあて、それぞれの心情が丹念に描かれる。

 いじめの加害者は自分のした加害行為をすぐに忘れる。そして日の当たる場所で生きることができる。しかし被害者は場合によっては一生かけても癒えない傷を負い、中には大人になっても家から外に出られなくなる人もいる。

 愛は軽い気持ちだったのだろう。しかしSNSが普及した時代では、加奈子がいじめられていたころとは異なり、いじめの加害者側にも試練が待ち受けていた。顔写真を世界中に発信され、いじめっ子としてSNSのユーザーの注目を浴びた愛は、二度と以前の生活に戻れない。掲載された写真は半永久的にインターネットに残り続け、愛のデジタルタトゥ―となるのは間違いないだろう。

 私たちはそんな愛を見て、哀れだと思うだろうか。それとも自業自得だと思うだろうか。

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