つげ義春と風まかせの旅へーー名著『つげ義春流れ雲旅』に記録された、60~70年代の日本の風景

『つげ義春流れ雲旅』レビュー

 冒頭の「下北半島村恋し旅」に注目してみよう。下北半島の湯野川温泉の共同浴場に行った彼らは、山仕事を終えてやってきた男たちの一人に、「こんなとこくるより、バンパク行きゃあよかったに」といわれる。こうしたセリフは、下北で何度も聞かされたそうだ。

 バンパクとは、1970年に大阪で開催された日本万博博覧会のこと。通称、大阪万博。総入場者数、6400万人以上という、一大イベントであった。東京オリンピックが戦後日本の復興を印象付けたファーストインパクトのイベントだとすれば、大阪万博はセカンドインパクトといっていい。日本という国が、大きく変わっていくことを、あらためて思わせたイベントであったのだ。

 そんなときに三人は、下北半島を旅していた。巻末の「鼎談+1 五十年目の『流れ雲』」で大崎紀夫は、「万博のあと急速に列島改造が進んで、ずいぶん日本の風景が変わっちゃった。あのころがちょうど端境期だった感じだね。だからいいときに旅をしたなあって」と語っている。下北半島だけではない。東北の湯治場、四国のお遍路、国東半島、秋葉街道、最上川……。好んで田舎を巡る彼らの旅は、その後、激しい勢いで消えていった、日本の風景と人物の記録になっている。今となっては、民俗学の資料として読むことも可能なのだ。

 とはいえ三人は、読む人に何かを押し付けようとはしていない。本書から受け取るものは、読者次第なのである。

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