芥川賞受賞作『荒野の家族』評 震災が忘れられることに対するささやかな抵抗
小説は書き出しが大切だといわれるが、書評も同じである。作者のことから始めるのか、まず粗筋を書くか、それともテーマを明らかにするのか。常にいろいろ考えてしまう。だから佐藤厚志の『荒野の家族』の書評を依頼され、本を読んで、しばし悩んだ。オーソドックスにやるならば本作が、第168回芥川賞を受賞したことから始めるべきだろう。しかし本作の内容を知ると、作者の経歴を無視できない。だからまず、そちらを記すことにする。
佐藤厚志は、1982年、宮城県仙台市に生まれる。東北学院大学文学部英文学科卒業後、書店に勤務。その傍ら執筆活動を続け、2017年、第四十九回新潮新人賞を『蛇沼』で受賞した。広く知られるようになったのは、2021年に『象の皮膚』が、第四十三回三島由紀夫賞候補になってからだろう。
その『象の皮膚』は、仙台の書店で働く五十嵐凛という女性の、生きづらい日常を描いた物語だ。アトピーにより子供の頃からいじめられ、家族からも見下されている。書店員6年目だが、やっかいな客や、当てにならない同僚に悩まされる。さらに東日本大震災(以下、震災)が起こり、仕事の苦労が増えるのだった。
作者は現在も仙台市の書店に勤務する、現役の書店員だ。震災後、再開した書店の混乱などは、自身の体験を踏まえているのではなかろうか。また、客たちの理不尽なクレームが、実にリアル。私も10年ほど書店員をしていたので、「こういう客、いたなあ」と、どんよりした気分になってしまった。
そのあたりのことをじっくり語りたい気持ちもあるが、ぐっと我慢して、『荒野の家族』の書評に移ろう。実は本作を読んで、最初に考えた書評の書き出しは、「この物語には、かすかな息苦しさが漂っている」というものだった。主人公の坂井祐治は、ひとり親方の造園業者。かつて造園会社に勤めていたが独立。しかし、ひとり親方になった途端に、震災に遭遇し、大切な仕事道具を失った。妻の晴海とひとり息子の啓太との生活を守ろうと必死に働くが、二年後に妻が病死。その後、知加子と再婚する。だが、上手くいかずに知加子は出て行った。現在は、母親と啓太と一緒に暮らしている。40歳になった祐治だが、どんなに走ってもまったく前進していないような息苦しさを、心の中に抱えている。
そんな祐治の視点で進む物語は、現在と過去を往還しながら、彼の人生を露わにしていく。なんとなく造園業者になったが、結婚して子供もでき、平凡な日常を手に入れていた祐治。だが震災によって、彼の当たり前は失われる。作者はインタビューなどで、「震災が忘れられるということにささやかな抵抗になればいい」といっている。『象の皮膚』でも取り上げられているので、作者にとっては重要なテーマといえるだろう。ただし『象の皮膚』で東日本大震災が起こるのは後半になってからであり、震災そのものはメインのテーマとなっていない。それに対して本作は、震災の記憶が通底音のように、ストーリー全体に流れている。変わっていく町の風景、忘れられていく震災の記憶。それは人が生きていくうえで、しかたがないことかもしれない。だが、実際に震災を体験し、何かを失った人にとっては、簡単に忘れられることではないだろう。そう、祐治のように。