『釣りキチ三平』作者・矢口高雄の妻が語る、二人の出会いと今だから話せる漫画家生活のリアル

 釣り漫画の最高傑作『釣りキチ三平』などの作品で知られ、2020年に惜しくも他界した漫画家・矢口高雄。矢口は、自伝漫画の名手としても高名であった。なかでも、『9で割れ!!―昭和銀行田園支店』は高校を卒業後、地元の銀行に就職した矢口が漫画家になるまでの歩みを描いた名作だ。エリート銀行員だった矢口は子ども時代の夢を捨てきれず、脱サラして漫画家を目指した。そんな矢口を金銭面や精神面で支えたのが妻の髙橋勝美さんである。出会いと新婚生活はどのようなものだったのか。思い出を振り返っていただいた。

『9で割れ!!―昭和銀行田園支店』は矢口高雄の銀行員時代を描いた自伝的漫画。勝美との結婚生活についても作中で触れられている。
髙橋勝美がモデルになっている矢口高雄の漫画『かつみ』。

漫画好きの銀行員と運命の出会い

――矢口高雄先生は高校卒業後、羽後銀行に就職しました。銀行員として初めて赴任したのが、秋田県羽後町の西馬音内支店です。この町で勝美さんと運命的な出会いがあったわけですね。

勝美:出会いのきっかけを話すと恥ずかしいんだけれど……夫からナンパされたんですよ(笑)。私が高校生だった時のことです。主人が西馬音内に赴任してきたころ、私は湯沢高校羽後分校(勝美が高校3年のときに現在の羽後高校になった)に通っていたんです。私は男の子を引き連れていたので、目立っていたと思います。

――どちらから告白されたのでしょう。

勝美:夫からですね。私たちの時代は、女の子から告白するなんてあり得ない時代でした。私はほかに好きな人がいたんだけれど、その人から声をかけてもらえなかったから、夫と付き合うことになったのです。

――矢口先生、さすがは世紀のハンサムボーイですね! モテモテだった勝美さんですが、矢口先生のどんなところに惹かれたのでしょうか。

勝美:夫は話がうまい人だったからね。中学校のときに演劇部だったから、トーク力は言うに及ばず、すごく表現力もあるの。会って話すと、手塚(治虫)先生に憧れていて、銀行を辞めたら漫画家になりたいといつも言っていました。私も貸本屋に通ったり、少女漫画雑誌を買ってもらっていたから、気が合ったのよね。『イガグリくん』とか『赤胴鈴之助』なんかも読んでいたし、手塚先生の絵なんて田舎者から見たらおしゃれで、『リボンの騎士』も夢中になって読んでいましたから。漫画の話は本当によくしましたし、楽しかったですね。

勝美が通った湯沢高校羽後分校(現在の羽後高校)。写真は郊外に移転した現在の羽後高校の校舎。写真=背尾文哉
矢口高雄が銀行マン時代に下宿していた黒澤家。江戸時代の建築で秋田県指定有形文化財。写真=背尾文哉


――勝美さんも無類の漫画好きだったんですね。デートはどんなところに行ったんですか。

勝美:よく行ったのは西馬音内や湯沢の映画館ですね。当時は湯沢にも洋画専門の映画館や、松竹、東映など、4軒ほど映画館があったんです。今はぜんぶなくなっちゃったけれどね(笑)。夫は本当に多趣味で、夏には役内川に鮎釣りに出かけ、冬は家で絵や漫画を描く。油絵を描いたりもしていました。

――昭和38年(1963)にお二人は結婚します。新婚生活はいかがでしたか。

勝美:銀行員って、今だと給料がいいイメージでしょう? 当時はそうでもなくて、ほかの民間企業と比べたらずいぶん安かったんですよ。外から見たら花形と言われたけれど、生活は苦しかったですね。それに当時の銀行は、今だと完全にパワハラで問題になるくらいに、上司も厳しかったんです。

矢口高雄が赴任したのは、羽後銀行西馬音内支店。現在の北都銀行西馬音内支店である。写真=背尾文哉
西馬音内支店からも近いおもちゃ屋「ながや」は作中にたびたび登場するランドマーク。矢口も店の前を何度も歩いたことだろう。写真=山内貴範

――給料が安いのに矢口先生は多趣味となれば、生活が大変だったのではありませんか。

勝美:だから、私はある時から内職を始めたんです。編み物の内職で夫の給料の80%くらいは稼げたかな。給料は生活費で消えていたので、内職のお金で冷蔵庫とか家電製品を買っていましたし、夫の趣味のお金は結構私が出していました(笑)。

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