『鎌倉殿の13人』貴族社会の価値観とは? 百人一首をめぐる小説に見る、雅な男たちの生き様
「王朝の貴族の心」――その言葉に心を動かされた上皇の信頼を得るようになった定家だが、上皇の愛情表現は、ときに苛烈であり……やがて、そこに定家の朋友・家隆も加わることになるのだった。後鳥羽上皇と定家、そして家隆という奇妙な三角関係。しかしその一方で、朝廷と東の坂東武者たち――鎌倉勢との関係性は、次第に緊張感を帯びたものとなっていく。京への憧れを隠さない将軍・源実朝を籠絡するため、歌の指南をすることを上皇から命じられる定家。その意外な歌の才に刮目する定家だが、そんな実朝が凶刃に倒れ……事態は、さらなる緊張感を帯びていく。後鳥羽上皇と定家、そして家隆――「歌」で愛を編む男たちの複雑な関係性は、風雲急を告げる時代の中で、いかなる結末を迎えるのだろうか。
いくつもの「歌」が、登場人物たちの秘めたる「思い」を代弁するかのごとく巧みに盛り込まれた本作。その最初と最後は、定家の晩年、旧知の歌人であり、息・為家の舅でもある宇都宮蓮生(頼綱)から、嵯峨野に建築した別荘・小倉山荘の襖の装飾のため、歌の選出と色紙の作成を依頼されたことが描かれる。のちに「小倉百人一首」と呼ばれるようになる「百人一首」の原型とされるものだ。実は、定家がその直前に編纂した「百人秀歌」と、構成こそ違うものの、内容的にはほぼ同一である「百人一首」。しかしながら、そこには「百人秀歌」にはない、2つの「歌」が選出されているのだった。それは果たして、誰のどんな歌なのか。そこには、定家のどんな「思い」と「矜持」が込められているのだろうか。本作には、それを解き明かす「ミステリ」としての醍醐味もあるのだ。
ちなみに、表題の『身もこがれつつ』は、「百人一首」の中に、実朝(鎌倉右大臣)や飛鳥井雅経(参議雅経)、慈円(大僧正慈円)といった同時代の人々の歌と並んで自ら選出した、定家(権中納言定家)自身の作による歌――「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」から来ている。そこで詠まれている「来ぬ人」とは、果たして誰なのか。「武力」によってのし上がっていった鎌倉の武士たちとは対照的に、「歌」の力によってのし上がり、「歌」で愛を交わしながらも、「承久の乱」という一大事件に翻弄されていった、京の雅な男たちの「生き様」。それが本作には、ありありと描き出されているのだ。『鎌倉殿の13人』のサイドリーダーとしても、十二分に楽しめる一冊だ。