鎌倉時代小説に新たな切り口ーー『女人入眼』が描く、大姫の秘められた悲しき過去

『女人入眼』が描く、大姫の過去

 三谷幸喜脚本のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を、毎週悲鳴を上げながら観ているうちに、すっかり興味が湧くと同時に、いつのまにか結構詳しくなってしまった「鎌倉時代の草創期」ではあるけれど、歴史小説の世界では、それこそ1979年のNHK大河ドラマ『草燃える』の原作となった永井路子の『北条政子』や直木賞受賞作でもある『炎環』の頃から――あるいは、伊東潤の『修羅の都』など、その時代をモチーフにした小説は、すでに数多く存在する。いずれも大変面白い。けれども、源頼朝や北条政子、あるいは北条義時といった、その「中心」に位置する当事者たちの話ではなく、その「周辺」からやってきた人物――「鎌倉のストレンジャー」とでも言うべき「ナラティブ」を用いている点で、永井紗耶子の『女人入眼』は、これまでの「鎌倉もの」とは少々雰囲気が異なる、ある意味とても新鮮な一冊となっていた。

 物語の主人公は、京の六条殿で、亡き後白河法皇の皇女・宣陽門院と、その母・丹後局に仕える女房・周子(ちかこ)だ。20歳の才媛として宮中で知られている彼女の女房名は「衛門(えもん)」。実は、頼朝の側近中の側近であり、現在は鎌倉の政所別当を務める大江広元の「縁薄き娘」という出自を持つ周子は、頼朝が征夷大将軍を任じられた3年後の建久6(1195)年、宮中掌握を目論む丹後局の命を受け、鎌倉に派遣されることになる。その目的は、頼朝と政子の娘・大姫の入内準備だ。周子の2つ年下である大姫の人間性を見極めると同時に、宮中に入っても恥ずかしくない教養や作法を、あらかじめ教示しようというのだ。しかし、初めて訪れた鎌倉の地で周子が見たものは、宮中とはあまりにも違う人びとの姿であり、その価値観だった。

 父・広元は言う。「この鎌倉において御所様と御台様はいずれも立てねばならぬ」、「宮中では、帝と后は並び称されるものではない。しかしここでは時に御台様の御意向が、御所様を上回ることがある。この鎌倉は御台様と北条なくして語ることはできぬのだ」。かくして、ようやく大姫に目通りが叶った周子だが、そこでまた問題が起こる。大姫の瞳は、どこか虚ろなのである。宮中での作法を教えるどころか、会話すらままならないその状況に、周子は途方に暮れる。気鬱を患っているとは聞いていたが、これはいかなる病なのか。そして、その原因は果たして何なのか。そんな周子の目を通して、「大姫入内」をめぐる京と鎌倉の人々の思惑と、大姫の秘められた悲しき過去、そして母・政子と娘・大姫のねじれた関係性が、徐々に明らかとなっていくのだった。

 八方ふさがりの状況の中、周子はひとりの武士と次第に心を通わせるようになる。海野幸氏だ。かつて、木曽義仲の嫡男である義高が人質として鎌倉入りした際、その従者として同行し、義高の逃亡時には、彼の身代わりとなって鎌倉に残り、死を覚悟するも助命。それどころか、その忠誠心と弓馬の腕を買われて頼朝の御家人となるという、数奇な運命を辿った人物だ。彼もまた「鎌倉のストレンジャー」だった。仕えるべき主も、帰る故郷も失いながら、鎌倉の諸勢力のいずれにも与することなく、ひとり孤独に武芸の腕を磨いてきた幸氏。大姫の過去の「悲しみ」を、誰よりも深く知る者でもある幸氏と言葉を交わすうちに、周子は自らの使命以上に大姫の安寧を願うようになり、やがて政子と対立するようになるのだった。そんな周子を陰で支える幸氏。果たして「鎌倉のストレンジャー」たちは、「修羅の都」鎌倉の中核に位置する大姫の「魂」を救うことができるのだろうか?

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