『地図と拳』小川哲×『満州アヘンスクワッド』門馬司 特別対談 いま満州を舞台にフィクションを描く意味

地図と拳 × 満州アヘンスクワッド 対談

満州は今はもうないという事実が、絶対的にある

――『地図と拳』と『満州アヘンスクワッド』で面白いのは、国際的な舞台を活かしていることです。例えば、満州国の「五族協和」(五つの民族が協調して暮らすという建国の理念)のイメージに作品としてどうアプローチするかとか。

小川:『満州アヘンスクワッド』は、主人公たちの多国籍チームで「五族協和」が実現する(笑)。阿片販売によって満州の理念が結果的に成立してしまう皮肉。阿片密造には個人の能力が重要で、むしろ悪いことをするには国籍や人種は邪魔な概念になる。それが面白い。

門馬:各地を転々とするうちに、そこにいるモンゴル人やロシア人も仲間にしていって、うまいこと国籍色が豊かになった感じもあります。

――主人公たちは葛藤しながらも阿片販売に加わる。彼らが悪に手を染めているのを知りつつ、読者は感情移入してしまう。読者にも葛藤があるわけですが、原作者としての考えは。

門馬:それはもう、金がないと苦しいことを誰もが知っているからです。阿片には欲、金、死という人間から切り離せない3つがからんでいる。金のために人としてこのラインを越えるか越えないか、本能的に引き寄せられて葛藤するのではないか。自分だったら本当にこれを悪といえるか、絶対嫌だといえるか、読んでそれを考えてもらえたら嬉しいです。

小川:作中では幼児を売ったり女性に体を売らせたり、金のためにもっとひどいことをする連中がいる。それに比べれば阿片はまだ許容できる、というのでもなくて主人公たちが無理矢理、相手を顧客にすることもある。その際に葛藤を抱えているのが興味深い。

門馬:葛藤なんか抱かない人も実際にはいっぱいいて、そういう人ほど生き残っていくものだったりする。でも、そこで葛藤し、やはり割り切れないことがドラマにつながっていくのが、エンタメとして面白いと思うんです。

――作中の阿片描写をみていると、自分だったら吸っちゃうかもと恐ろしい(笑)。

門馬:そんなつもりで作ってはいなかったんですけど、気がついたら日方勇の作る純度の高い真阿片が、水戸黄門の印籠みたいな威力抜群なものになっていました。

――マンガではそれこそ地図を塗りつぶしていくように物語が展開しますが、小川さんは小説で満州に対し『地図と拳』という象徴的な言葉を持ってきました。

門馬:小説のなかで細川がそれらの言葉について演説する場面には、本当に感銘を受けました。あれは、小川さんが日頃から考えていたことですか。

小川:連載ではあの時にそろそろ折り返し点という感覚があって、タイトルの意味を1回考える回があってもいいと思ったんです。僕が考えていたタイトルの意味を、作中人物の立場からみえる範囲で説明しました。細川がたいしたことのない人間だと小説の格もたいしたことのないものになってしまう構造になっているので、彼の能力からしてこれくらいはいうだろうという線で書きました。

――お二人の作品では、ボスの娘が親であるボスに反抗するのも共通点ですね。

小川・門馬:あー、そうですね。

小川:理由は単純で、当時の満州で史実にならおうとすると女性を出すのが大変なんですよ。『満州アヘンスクワッド』には李香蘭のような女優が登場しますけど、ああいった形か、銃後を守る母や妹みたいな形でしかなかなか女性を登場させられない。軍人としても馬賊としても出せないけど、戦う女性を書きたいから抗日軍の1人として出しました。それが首領の娘。『満州アヘンスクワッド』にも戦う女性が中華マフィアの娘として出てきます。満州をフィクションにするうえで、首領の娘を出すのは1つの定型になりそうな気もします。

門馬:ただの戦う女性だとちょっと弱い。権力者の娘という要素が1つ乗っかるといいバランスになります。

――満州を舞台にする限り、フィクションとして書いていても曲げられない史実はありますよね。日本は戦争に敗けるとか。

小川:避けられないネタバレ(笑)。どんな終り方でも、勝利はないと決定されている。そこをどうするか。『地図と拳』の場合、細川という作中人物が未来を予測するのは、読者の僕らが日本は敗けるというネタバレを知っているのを、彼も知ろうとするようなものです。だから、細川の行動は、戦争の結果を知る僕らの行動でもある。今戦争を描くのなら、そういう人物が1人はいていいと連載中から思っていました。これが日露戦争なら勝つのを知っているから、ここからどうやって勝つかという楽しみ方ができる。でも、登場する全員が本気で勝つつもりなのに、読む僕らが敗けるとわかっているのは悲しいでしょう。敗北がわかっている代表戦のハイライトみたいな感じにならないように、みせ方は気をつけました。

門馬:満州は今はもうないという事実が、絶対的にある。逆にそれがわかっているからロマンがあるし、こいつらどうなるんだというワクワク感もあるととらえて、いいことかもしれないと思っています。

歴史は構造的に繰り返し続ける

――2人は小説家とマンガ原作者ですが、もし逆の立場だったらどうでしょう。

小川:僕は1人で仕事がしたいと思って小説家をしているので、作画の人の行動やモチベーションをコントロールできないマンガ原作はストレスがありそう。人と揉めたくないから小説を書いているところもあります。

門馬:小説は読むのは好きですけど、頭にあるものを文章のみで表現するのは難しそうだしすごいと思います。僕は昔マンガを描いていて、それから原作者になったんです。

小川:僕は絵がまったく描けない。だから、もし阿片の気持ちよさを小説に書いても、絵で表現できないから、気功が云々とかの理屈になっちゃうと思うんです。その点、『満州アヘンスクワッド』だったら、そこは表情と姿勢の絵だけですぐ伝わる。

――小川さんは昨年、「多層都市『幕張市』プロジェクト」で、ほかの人のアイデアを小説化しましたよね。(参考:「『幕張市』をSFするーCivic Vision SF Workshop Series」第一回アーカイヴレポート)

小川:一般市民がアイデアを出すああいう企画なら楽です。わりと自分が好きなように書けるので。でも、プロからアイデアをもらって、相手を尊重して対等の立場でやるとなると難しそう。自分がどこまで変えていいかわからないので。

――作画の方から原作のここを変えてくれといわれることは……。

門馬:滅多にないですね。人によるところはありますけど、『満州アヘンスクワッド』の鹿子先生とは本当にうまくやれています。お互い信頼していますし、鹿子先生なら大丈夫と思って、僕もぶん投げています。だから、仮に変えてくれといわれても納得できたら変えるし、無理ですとはいわないと思います。

 せっかくの機会なので小川さんに聞きたいんですけど、『嘘と正典』の「魔術師」はどういう発想から生まれたんですか。

小川:コンセプトは、50%の確率でSF、50%の確率でミステリというものでした。マジックに種があればミステリ、なければSFという風にどちらにも読むことが可能な構造を考えました。僕が書いた小説のなかで一番構造がきれいなのですごく満足している作品です。

門馬:エンゲルスが出てくる『嘘と正典』の表題作についてもお聞きしたいです。

小川:僕は、東大の2年生くらいまでずっと「マルクス・エンゲルス」が1人だと思っていたんです。未だに勘違いしている人は一定数いそうですけど。マルクスとエンゲルスが別人だと驚いてから2人を調べたら、マルクスは借金しまくっためちゃくちゃな人間だったけど、彼の生活を支えたエンゲルスは資本家として才能があり、金も稼いで会社を大きくしていた。彼らが共産主義を考え出した。その記憶がストックに残っていて、エンゲルスがいなければ共産主義国家は誕生しない。ゆえに、CIAの究極のオペレーションは彼の殺害だ。この発想はやばくない?(笑)と考えました。その種のストックが自分のなかにはいろいろあって、それを書こうとしているガジェットや設定と結びつけるんです。

門馬:『地図と拳』では、なにかといろいろ計測したがる須野明男が好きなキャラでした。もう一人、砂時計を持ち歩く黄宝林もぶっ飛んでて好きなキャラです。

小川:昔、読んだ合格体験記に、勉強以外のあれこれを毎日8時間以内に収めるため、ストップウォッチを持ち歩いて東大理3に合格した人の話が載っていたんです。勉強する時間ではなくそれ以外を計って、自分に許された自由な時間がどんどん減っていく。その衝撃がすごくて、いつかエリートを登場させる時にこのネタを使おうと思っていました(笑)。

――『地図と拳』と『満州アヘンスクワッド』には、現在の状況で読むから面白いというところもあると思います。

小川:新しい国家を目論んだ満州は、多様性など今我々が抱える課題に先進的な答えを出すことも可能な場所だったと思います。そういう理念を大義名分にして日本は、西洋に対し満州は国家だと主張したけど認められず、戦争に進んだ。当時の関東軍が現地の人にしたことは、ロシアとウクライナの戦争に通じるかもしれない。なぜ今につながるかといえば、歴史は構造的に繰り返し続けるものだから。そういう意味で今読むと面白いのではと思います。

門馬:あの戦争に日本は敗けましたけど、未来にむけて、敗けや失敗が一番勉強になるかもしれない。これから10年、20年経つと、あの時代を生きた人たちはほとんどいなくなります。我々は実際に満州へ行ってはいないけど、描くことで新しい人がまた興味をもってくれて、調べてくれるかもしれない。そこに意義があるかもしれません。べつに高い理想を掲げてはいませんけど、そんなこともあったらいいなと思っています。

■書籍情報
『地図と拳』
著者:小川哲
2022年6月24日発売
出版社:集英社
価格:2420円

『満州アヘンスクワッド』
原作:門馬司、作画:鹿子
2022年9月6日、第10巻発行
出版社:講談社
価格:726円

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