「文と向き合うほど、唯一の正解が世の中にどれだけあるかわからなくなる」校正者・牟田都子が語る、仕事論

牟田都子インタビュー

――ゲラを読んでいて、人を傷つけてしまう表現を見つけることもあるのではないかと思います。そういう場合、牟田さんはどうしますか?

牟田:難しいですよね。小説の中で、著者に差別意識があるわけではなく時代背景をもとにその言葉を選んでいたのだとしても、批判はあるかもしれません。今は使うことが憚られる言葉も増えてきていますし、判断が難しい時があります。傷つく人がいるかもしれないと感じたら、理由を添えて言い換えを提案したり、編集者に直接相談したりしますね。

 ただ、5年前には気づけていなくて、今振り返ると「あれは通したらまずかったんじゃないか」と思う表現もあります。校正は読者の代理として最初に読む人でもあるので、荒い言い方ですが世間や常識、空気を代表する立場でもある。自分はそのための感覚をきちんとアップデートできているのか、気をつけて読まないといけないと意識してはいるものの、本当に難しいです。

 2020年には『新明解国語辞典』(三省堂)が9年ぶりに改訂され、「恋愛」の説明が「特定の異性に対して」から「特定の相手に対して」と変わり話題になりました。辞書に記載があるものからそうでないものまで、社会の変化を見落としていないか……すべてにおいてできているかは自分でも自信がありません。

 言葉一つというより文脈次第というところもあります。問題となる言葉を使っていなくても、特定の人を傷つける文章もありますから。そのことに著者が気づいていないのか、何か意図があるのか。その都度見極める必要があると感じています。


――指摘をしたからといって必ず採用されるわけではないという問題もありますね。

牟田:そうですね。問題があると感じた言葉にかぎらず、どの表現でも校正が赤字を入れて書き換えることはできません。あくまで著者の本だからです。

 本や雑誌の記述が批判を受ける中で、「校正者は何をやっていたんだ」と言われているのを見ると、顔も知らない校正者の心中を勝手に想像してしまいますね。できあがったものを見ただけでは、校正者が仕事をしていなかったのか、したけれど力が及ばなかったのかはわからないです。伝え方が難しいし、なかなかそこまで想像する方は少ないので誰かを責める意図はないのですが、けっこうややこしい問題なんです、という思いはありますね。

「何が正しいか示す仕事」と思われるけど

――校正に対する期待が高まっているのかもしれません。「あの日の空は」というエッセイでは、作家の石井光太さんが小説で「まぶしいほどの月光」と書いたら、校正から「OK 現実の2012、6/9も満月と下弦の間」とメモがあり感激した、とSNSで言及し話題を集めたことに触れていました。事実に即して調べ上げるこうした校正の仕事ぶりはときどき注目を集めますね。

牟田:校正のことを知っていただけるのはありがたいです。一方で、SNSなどで「神校正」と言われその部分だけが脚光を浴びるのは怖いとも感じます。事実に裏付けを与えることも大切なのですが、校正の仕事はそれだけではないですし。

 それに事実に反していても、フィクションでここはどうしてもそう書きたいと思ったら書いていいと思うんですよ。リアリティの追求がすべてではないですし、書きたいことがあるなら、著者は校正を無視してもいい、表現とはそういうものだと私は考えています。校正の正しさが絶対視されると、そのことがかき消されてしまわないかと心配です。

――世間的に、正しいものへの欲求が大きくなっているのかもしれませんね。

牟田:白黒つけてほしい、何が正しくて何が間違っているのか言い切りたいという空気や傾向は、ここ数年でどんどん強くなっていると感じますね。

 校正は何が正しいかを指差す仕事だと思われていますし、私も昔はそう考えていたのですが、今はまったく思っていません。仕事をすればするほど、唯一の正解だと言えることって世の中にどれだけあるのかわからなくなります。正しいことしか許されないのは息苦しいし、その正しさから外れてしまった人たちにとっては、こんなにつらい世界ってないですよね。自分もまだ想像が至っていないところがあるとは思うのですが。

――今は誰もが気軽に言葉を発信できる時代です。牟田さんからみて、一般の人が気をつけるといいことはありますか?

牟田:なんだろう……みんなもっと辞書を引いてほしい(笑)。辞書って知らない言葉を知るために引くと思われていますが、知っている言葉ほど知らないんですよ。お金がある人はぜひ紙やアプリの国語辞典を買ってみてほしいし、「コトバンク」のように、既存の辞書をベースにしていて無料で使えるサイトもあります。辞書アプリはネットにつながっていなくてもひらけますし、百科事典がいつでもポケットに入っているってすごく楽しいですよ。

 たった140字のツイートのためにそこまでするのは面倒臭いと思うかもしれませんが、辞書を引きながら書くとより深く考えることになるし、そうやって書いたものはちゃんと読まれます。それに、少なくとも自分自身は読むことになるじゃないですか。「誰も読んでくれない」と思うかもしれないけど、あなたが書いたものを少なくともあなたはちゃんと読んでいる。すぐに目に見えるリターンはなくても、地道に一生懸命考えて、書いて、読んでを繰り返せば、自分がほんのちょっとずつ分厚くなっていくはずです。

 本を読んだり何かを書いたりしていると、自分の世界が思っていたよりずっとちっぽけだったことに気づかされます。それはしょんぼりするようなことではなくて、より広い世界に自分を広げていく気づきになります。まずは目の前の言葉を辞書で引いてみる、そこからはじめてみてほしいですね。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「エッセイ」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる