村上春樹、松本隆も絶賛 日本の漫画を熟知した台湾の新鋭・高姸の『緑の歌』が凄い
独特な間の取り方がキャラを立てる
最後に、少しだけ技法的なことを書かせていただきたい。実はこの作品、従来の日本のストーリー漫画の多くと比べて、テンポというか、「間(ま)」の取り方がかなり“変”である。“変”というのは、私の場合、褒め言葉として使うことが多いので誤解しないでいただきたいのだが、これは、高が日本の作家ではないということはほとんど関係ないだろう(それくらい、彼女は日本の漫画の方法論を熟知している)。
つまり、『緑の歌』で見られる独特な間の取り方は、作者が(従来の日本の漫画のテンポやモンタージュを充分理解しているうえで)あえて選んだ手法であり、それが、結果的にキャラクターの内面を深く掘り下げることにつながっている。
具体的にいえば、通常の日本のストーリー漫画では1コマで済ませるような描写を、『緑の歌』では、2コマ、3コマ、あるいはそれ以上のコマ数を使って、丁寧に描いているのだ。このことにより、ある意味ではスピード感や切れのよさはなくなるわけだが、その代わりにキャラクターの表情の変化を細かく見せることはできる。また、カットとカットの間に不思議な「間」(「余白」といってもいい)が生まれ、それは、この作品の根底に流れている心地よいリズムに絶妙なアクセントをつけくわえている。
そういえば、上巻で、南峻が緑に「音の空間と体積の上にある大きな余白が、もっと多くの次元と想像の空間を生み出すんだ」というシーンが出てくるが、このことからも作者が物語の流れの中での「間」や「余白」を重視しているということがわかるだろう。
いずれにせよ、「キャラクターの表情の変化」とは、「心の変化」の描写に他ならない。そう、高が漫画というフォーマットを使って最も表現したいと考えているのは、形のない、つまり、本来は絵にすることなどできないはずの「人の心」なのだ。そんな高い志(こころざし)を持った作家を応援しないわけにはいかないだろう。
いささか気の早い話かもしれないが、高妍の次の作品が楽しみでならない。