漫画界に新たな才能 話題作「大好きな妻だった」含む、武田登竜門作品集『あと一歩、 そばに来て』評

武田登竜門作品集『あと一歩、 そばに来て』評

※本稿には、『あと一歩、そばに来て』(武田登竜門/KADOKAWA)の内容について触れている箇所がございます。同書を未読の方はご注意ください。(筆者)

 漫画界にまた新しい才能が現れた。

 武田登竜門――という名前を聞いてもまだピンと来る人は少ないかもしれないが、「大好きな妻だった」という短編の作者だといえば、「ああ、あの漫画家か」とわかってもらえるかもしれない。何しろ同作は、「Webアクション」(双葉社)で公開後、150万PVを突破したという話題作であり、こうした――つまり、Webマガジンや漫画アプリに掲載された作品が、いきなり目の肥えた漫画ファンたちに注目されてバズるというケースは、(平庫ワカ『マイ・ブロークン・マリコ』や、藤本タツキ『ルックバック』、『さよなら絵梨』などの例を挙げるまでもなく)今後ますます増えていくことだろう。

 さて、その「大好きな妻だった」を含めた全7作の短編を収録した、武田登竜門の作品集『あと一歩、そばに来て』が、先ごろ発売された。収録されているのは、架空の歴史物から日常物まで、幅広いジャンルの物語であり、この漫画家の引き出しの多さがうかがえる“濃い”内容になっている(作者自身の言葉[※]を信じるなら、漫画を描き始めたのは2018年以降だというから、それだけでも驚きだ)。

※……2021年9月17日に投稿された武田登竜門のツイートを参照。


限られた時間の中で見えてくる人と人のつながり

 繰り返しになるが、『あと一歩、そばに来て』に収録されている短編は全7作(収録順にタイトルを挙げれば、「その時がきたら」、「10分後に警察は来た」、「初夜はつつがなく」、「よかったね」、「楽園」、「悪くはねえけど」、「大好きな妻だった」)。

 たとえば、「楽園」のような、オチのどんでん返し(?)の面白さを狙っている冒険譚は別にして、本書に収録されている作品のほとんどは、限定された時間、あるいは、非日常的な状況下での恋愛を描いた物語である。それは、“いつか終わりが来るのがわかっている中での、人と人のつながりの物語”といいかえてもいいかもしれない。

 具体的にいえば、誘拐された数日間(「その時がきたら」)、通報を受けた警官が来るまでの10分間(「10分後に警察は来た」)、ある決意を抱いて挑む一夜(「初夜はつつがなく」)、そして、末期ガンに冒された妻を看病する半年間(「大好きな妻だった」)……。そうした、いわば時間的に限りのある非日常の世界で、主人公たちは、自分の中の両義性(前向きな感情と黒い感情、あるいは、公人と私人といった2つの顔)に気づき、目の前にいる相手との関係性(さらには自分の本心)を改めて問い直すことになる。

 中でも、「大好きな妻だった」の主人公が、愛している(はずの)妻に対して、無意識のうちに「いつ死ぬんだろう」と思う場面があるが、このあたりの残酷な演出は見事だといっていい。そしてそのうえで、主人公は妻の本当の想いを知り、自らの感情にも向き合い、物語の最後には、(あえて書名に寄せていうなら)「あと一歩、(彼女の)そばに」近づく形で、“終わりの時”を迎えられるのだ。

目を描かずにキャラクターの表情を見せる手腕

 ちなみに、本書に収録されている作品の中では、この「大好きな妻だった」を除けば、やはり枚数的にも内容的にも、巻頭の「その時がきたら」が最も読み応えがあるだろう。

 同作の主人公は、とある小国の王女・リージャ(13歳)。即位して間もなく、彼女は何者か(詳細は描かれていないが、おそらくは、証文を偽造しようとした腹黒い商人たち)によって攫(さら)われてしまう。

 波の音が聞こえる商館(とおぼしき場所)に王女は数日間、軟禁されることになるが、そこには、彼女の身の回りの世話をしてくれる謎めいた男がいた。男は口がきけず、また、左の手には小指がないようだったが、王女のことを常に丁重に扱い、そのせいか、頼れるものが他にいない彼女は、しだいに、何も喋らない(というよりも“何もしない”)彼に惹かれていく。「わ…たしは…おまえが好き……」――ある時、王女は震えながら男の左手を握りしめてこういうが、その告白の言葉は、なぜか彼には届かなくて……。

 誘拐や監禁といった拘束された状態にある被害者が、時間を共有する中で、加害者に対して、好意を抱くようになる現象を「ストックホルム症候群」というが、これなどはまさにその類型といえるかもしれない。だが、王女の気持ちは“本物”だった……。

 やがて犯人たちは捕縛され、男も同じように捕まってしまうが、物語のクライマックス――すなわち「その時がきた」瞬間、王女の立場に戻った彼女が、罪人の1人として再会した彼に対して、いかなる行動をとるのか――それは、ぜひ本書を手にとって、その目で確かめてほしい。

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