村上春樹、松本隆も絶賛 日本の漫画を熟知した台湾の新鋭・高姸の『緑の歌』が凄い
あなたは人生をなぞるようにして、音楽(ロック)を聴いたり、小説を読んだりしたことがあるだろうか。ある、というのを前提にして話を進めるが、そんなあなたならたぶん、本来は“作り物”であるはずのロックや文学が、虚構(フィクション)を超え、現実の世界(少なくともあなたの目に映っているリアルな世界)にも大きな影響を及ぼすということを知っているだろう。
そんなことをふと思い出させてくれる瑞々しい漫画作品が、先ごろ、上下巻で刊行された。高妍(ガオ イェン)の『緑の歌 ―収集群風―』である。
主人公は日本のカルチャーに惹かれる台湾の少女
高妍は台湾出身のイラストレーター兼漫画家であり、日本の本好きには、村上春樹の『猫を棄てる ―父親について語るとき―』の挿画ですでにおなじみだろう。また、『緑の歌』は2018年にインディーズで出版された32ページの短編がもとになっており、2021年5月から2022年4月にかけて、「月刊コミックビーム」にて連載された。
主人公は、台北(タイペイ)市から少し離れた海辺の街で暮らす女子高生の林緑(リンリュ)。小説や音楽が好きな彼女は、ある時、海を見ながら偶然耳にした、日本の昔のロックバンドの楽曲に心を奪われる。その曲の名は、「風をあつめて」。そう、細野晴臣がボーカルをとる、はっぴいえんどのあの名曲だ。
やがて緑は大学に進学し、台北で一人暮らしを始めることになるのだが、そこで出会ったバンドマンの簡南峻(ジェン ナンジュン)という青年に、徐々に惹かれていく。そして、そのふたりの心をつないでいくのが、前述の「風をあつめて」や、村上春樹の『ノルウェイの森』、『海辺のカフカ』といった、さまざまな日本のカルチャーなのだ(たとえば、『ノルウェイの森』の登場人物である「小林緑」と名前が似ているため、村上春樹の愛読者である南峻は、緑のことを「リュ」ではなく「ミドリ」と呼んだりする)。
なお、その他にも、エドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の想い出』や、岩井俊二の(映画ではなく小説の)『リリイ・シュシュのすべて』、細野晴臣のソロアルバム(と台湾公演)など、ヒロインに影響を与えた映画、小説、音楽が作中で次々と引用・紹介されていくのだが(緑の本棚の細かい描写にも注目されたい)、これはそのまま作者である高の血肉になっている作品群だと考えていいだろう。
だが、この『緑の歌』を語るうえで、最も重要なカウンターカルチャーは他にあるのだ。それは、浅野いにおの漫画作品『うみべの女の子』である。
実際、高は高校生の頃から浅野作品を愛読していたそうであり、そもそも「風をあつめて」を知ったのも、浅野の『うみべの女の子』で同曲の歌詞が引用されているのを見たからだという。むろん、同じ歌詞を引用していても、あるいは、同じ“少女と海”をモチーフにしていても、『緑の歌』と『うみべの女の子』は正反対のベクトルを持ったラブストーリーである(それが作家性というものであり、清らかな初恋の日々を切り取った高の作品に対し、浅野の漫画はかなり過激な物語だ)。
だが、その2作のテーマソングともいうべき「風をあつめて」の主人公(?)が、細野晴臣の穏やかな声を借りて淡々と歌う、“風をあつめて蒼空を翔(か)けたい”という願いは、ふたりのヒロインに共通する“強い意志”を象徴しているように私には思える。そう、高も浅野も、おそらくは「海辺」を「生と死の境界線」(あるいは少女を縛りつけている“何か”)に見立てており、それを突き抜けるには、やはり「収集群風」――「風」という何物にも縛られない自由な力を集めて、空を翔けるしかないのである。