乙女と奈落~『テレプシコーラ』で『ヴィリ』を読むーー山岸凉子のバレエ・ゴシック【後篇】
後藤護の「マンガとゴシック」第5回
グロテスクなまでにバレエの「リアル」を描く
前回は山岸凉子の出世作『アラベスク』のタイトルに注目して、アラベスクがいかにしてグロテスクに至るのか、その経路を雑駁ながら示してみた(参考:『アラベスク』に秘められたグロテスクなデーモンーー山岸凉子のバレエ・ゴシック【前篇】)。今回はバレエの美の世界では抑圧されていて見えない、そうしたグロテスクなものが堰を切ったように噴出した山岸バレエ・マンガのもう一つの金字塔『舞姫 テレプシコーラ』から話を始めたい。【※以下重大なネタバレあります】
バレエ教室を開く母の下で日々研鑽を積む、篠原六花(ゆき)と千花(ちか)の二人姉妹のバレリーナとしての成長と挫折の物語で、いじめ・自殺・貧困・拒食症・児童虐待・児童ポルノ・容姿醜怪・初潮・借金5,000万円・ネットの誹謗中傷など、穏やかならぬテーマ含めバレエのダークサイドまで扱っており、その世界の裏側の「リアル」にまで肉迫している。
天才主人公ノンナの成長と師ユーリへの恋愛感情、および天才ライヴァルたちとの競争を軸としたポジの『アラベスク』に対し、ネガの『テレプシコーラ』はあらかじめ何かが欠けた者たちや挫折した者たちをむしろ丹念に描く。その意味で『スラムダンク』から『リアル』に移行した井上雄彦の軌跡にある程度重なるだろうか。
「グロテスクなもの」(ヴォルフガング・カイザー)はとりわけ姉・千花を襲撃する。彼女は不幸にも初の大舞台の日に初潮を迎える。さらに本番ではステージ上に撒かれた細かな紙で出来た雪で足を滑らせる、しかしこらえて無理やり跳躍(ジュテ)した結果、膝の靭帯を断裂してしまう【図1】。さらにここに度重なる医療ミスや、中学で受けている陰湿ないじめが絡み合い、バレリーナになる道が閉ざされたと絶望。家族の過度な期待もプレッシャーとなって、最終的に飛び降り自殺に至る……自殺と事故死の差はあれども、あだち充『タッチ』をやや参照したような、見た目がそっくりな兄弟の片割れの突然の死である(そして生き残ったもう一方の片割れにとっては、成長のための通過儀礼)。この劇的効果はすさまじい。しかし『リアル』を描いた井上雄彦であれば、おそらくバレリーナという生き方を挫折した千花のオルタナティヴな生き方——千花が遺言のように言い残し母ににべなく拒絶された、バレリーナのための医者になるという夢——を粘り強く描いたに違いない。
千花の膝のケガから死に至るまでのプロセスは熟考に値する。まず膝の怪我と、生理が同じ日に起きたことは見逃せないポイントだ。アキム・ヴォルィンスキー『歓喜の書』によれば、両膝を曲げるバレエの「プリエ」という動きに際しては、膝は地下的なもの・性的なものと関連していることを忘れてはならないという。さらには膝(genu)と性(genus)は語源的に無縁ではない、という実に怪しげな(?)エティモロジーさえ披露している。
この結びつきを踏まえると、千花が膝の靭帯を切った日に生理が重なったことは、何がしかの共鳴関係が認められそうだ——骨端線があり成長のシンボルである膝にダメージを負い、生理はそれ以上女子の身長が伸びなくなるサインだ。群舞では161cm以上が基本求められる(とマンガ内で説明される)バレリーナの世界で、155cmに満たない千花にとってこの二つが同時にやって来ることは限りないホラーなのである。
とにかく生理(ピリオド)が来た日の大事故が原因で、千花は人生に終止符(ピリオド)を打つことになった。「バレー」と「バレエ」を聞き間違えた医者が判断を誤り、切る必要のない靭帯を切ってしまった医療ミスが、最終的に千花のバレリーナ生命を絶った顛末を考えると、僕のこの悲しい「ピリオド」の言語遊戯もまた、山岸凉子によって周到に仕込まれたものだった気がしてならない。
『ヴィリ』——まごうことなきバレエ·ゴシック
千花が自殺し、その死を乗り越えて六花がコレオグラファーとして開花するところで『テレプシコーラ』第一部は完結する。そしてその直後の2006年に連載がスタートした『ヴィリ』について続けて考察したい。『アラベスク』、『テレプシコーラ』とその陰翳を深めていった山岸バレエ・マンガは、この『ヴィリ』においていよいよ「バレエ・ゴシック」に到達する。
このマンガを一言で言えば、『ジゼル』というバレエ演目で主役のジゼルを踊ることになったベテラン・バレリーナ東山礼奈(43歳)が、現実の様々なトラブルからまさに「ジゼル的状況」に陥っていくというメタバレエ・マンガである。といって肝心の『ジゼル』の内容を知ってる人も多くはないだろうから、山岸作品に関連する部分のみ拾って要約するとこうなる。
第一幕では貴族のアルブレヒトは身をやつして村娘ジゼルと恋の戯れをしている。しかしアルブレヒトには別に高貴な身分の婚約者バチルダがいる。あるとき三者が鉢合わせて修羅場となり、ジゼルは発狂、そのまま死んでしまう。第二幕は森の沼のほとりの墓場で始まる。そこは処女のまま死んだ未婚女性の亡霊ヴィリたちが集う場で、女王ミルタはジゼルもその仲間に加える。ヴィリたちはそこを通る男たちに襲い掛かり、死ぬまで踊らせて最後は沼に沈めてしまう。アルブレヒトもその魔の手にかかり死ぬ寸前までいくが、夜明けの日の光に照らされてジゼルはその光と共に消えていく。彼はなんとか命拾いする。
…という具合だ。とにかく第二幕のヴィリの恐ろしい存在感もあって、ロマンチック・バレエの代表作でありながら研究書など繙くと「ゴシック」と形容されていることも多い(しかしバレエ・ゴシックの究極は、「ゴシック・ロマンス」を副題にもつマシュー・ボーン版『眠れる森の美女』であろう)。ヴィリは吸血鬼と同じスラヴ系のルーツをもつ存在であるらしく、太陽光と十字架に弱い設定になっている。可愛らしい妖精のようでいて、ある面ではドラキュラのように残酷で獰猛なのだ。【図2】