乙女と奈落~『テレプシコーラ』で『ヴィリ』を読むーー山岸凉子のバレエ・ゴシック【後篇】

山岸凉子のバレエ・ゴシック【後篇】

後藤護の「マンガとゴシック」第5回

「狂乱の場」の再解釈

 第一幕最後のジゼルの発狂シーン、いわゆる「狂乱の場」も見どころとして知られる。名だたるバレリーナが演じてきたが、実生活で精神病院に20年ほど入っていたオリガ・スペシフツェワの佯狂(狂ったフリ)とは思えない、真の狂気に片足突っ込んだようなマイムを推す【図3】。ちなみに前回連載から度々引用している『歓喜の書』のアキム・ヴォルインスキとも内縁関係にあった美貌のバレリーナで、その狂乱の人生はボリス・エイフマンに霊感を与え『レッド・ジゼル』というバレエ作品に結晶した。

図3 『ジゼル』の「狂乱の場」でのオリガ・スペシフツェワ。/出典:鈴木晶『バレエ誕生』(新書館、2002年)、173ページ。

 やや脱線したが、この「狂乱の場」はマンガ『ヴィリ』ではアラフォー女性の悲喜劇風に再解釈されている。『ジゼル』公演のスポンサーであるIT社長の高遠(アルブレヒトに相当)との食事で、結婚を申し込まれることを確信してウキウキしていた礼奈(ジゼルに相当)であったが、ふたを開けてみれば高遠が申し込んだ相手はまさかの娘の舞(バチルダに相当)。さらにロリコンの(?)高遠はこの16歳の娘を妊娠させていたと判明。この「狂乱の場」は、極めて悲痛な「間違い喜劇」の印象をもたらす。

 あまりにショックな出来事のため、翌日の公演会場の下見も気もそぞろになってしまい、おまけに舞台上にいる「謎の亡霊」に誘われて、礼奈は「奈落」(歌舞伎などで役者せりあがってくる装置など仕込まれた舞台下の地下空間)に転落してしまう【図4】。しかし一命をとりとめ、病院でチューブに繋がれ昏睡状態の礼奈であったが、代役がジゼルを演じる本番当日に「生霊」となって現場を徘徊する。

図4 「奈落」に落下する礼奈/出典:山岸凉子『ヴィリ』(メディアファクトリー、2007年)、160ページ。

タルタロス、そして千花の祟り?

 最後に二点ほど指摘したい。まず「奈落」というこの舞台装置は1988年の山岸の短編「奈落(タルタロス)」のタイトルを反響させていること。そしてより重要なことは、最初に礼奈を「奈落」に落とし込んだ亡霊の正体は一体誰だったのかということだ。会場のHホールで死んだスタッフであるという、まことしやかな噂が作中語られもするが、本番当日にステージ上に現れた亡霊はヴェールで顔が見えなかった。つまり、正体は不確定のままだ。本作が『テレプシコーラ』第一部完結の翌年に連載がスタートしたということを踏まえると、この亡霊は飛び降り自殺した千花ではないか、という奇妙な憶測に駆られる。

 礼奈は転落してなお生き残り、下半身不随になって車いす生活になるが、最後は舞台袖で足の指が動くという奇跡が起こる。そうした一縷の希望を残してこのマンガは終わる。このラストは、希望を失って飛び降り自殺した千花が、死なずにバレリーナとして再起するというありえたかもしれないオルタナティヴ・ストーリーの示唆であり、千花への鎮魂としてのハッピーエンドだったと思いたい。

 またヴィリが未婚のまま死んだ処女の祟り(中国の福建省でも同様に処女の祟りを畏れ「幽婚」という儀式が行われる)であるならば、ジゼル役にふさわしいのは礼奈よりむしろ千花である。『テレプシコーラ』の自殺者が、成仏できずに『ヴィリ』でバレリーナを「奈落」に呼び込む死霊になった——私のように飛び降りろ、と。こうして作品間を越えて勝手な想像力を膨らませると、この二作品はますます面白く、怖くなる。そして、ますます悲しくもなる。

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