『ポーの一族』と「ロマンティックな天気」 ——疾風怒濤からロココ的蛇状曲線へ「マンガとゴシック」第3回
マンガとゴシック
語られつくした名作
楳図かずお論から引き続き、今回から女性の少女マンガ家におけるゴシック的想像力の系譜を辿っていく。楳図に『14歳』という作品があるが、その14歳のまま永遠に年を取らない不滅の美少年バンパネラ(吸血鬼)・エドガーを主人公にした、萩尾望都『ポーの一族』をまずは取り上げてみたい。18世紀中葉から20世紀まで(※2016年に再開した続編では21世紀まで)、200年を超えるタイムスケールで壮大な吸血鬼一族の愛と悲哀が描かれる。
社会現象にさえなった吸血鬼マンガの金字塔であるから、殆ど語られつくされた感もある。代表的なところで言えば、「永遠の子供」というテーマで橋本治が『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』に優れた萩尾論を書いているし、「吸血鬼」というテーマでも名著『吸血鬼幻想』の著者・種村季弘が、萩尾との大変読み応えある対談を残している。ギムナジウムを中心にした「BL(同性愛)」という観点では、これはもうファンダム中心に数限りない言説があることだろう。
では、もう付け加えることはないのか? 否、優れたテクストとは無限に解釈を開くものだ。『ポーの一族』で今まで殆ど言及されてこなかった、あるいは言及されても掘り下げられることのなかったであろう「天気」(もっと言えば雨や雷、霧といった天候不順)をテーマにしたいと思う。
吸血鬼の心模様と空模様
どういうことか? 具体的なマンガの内容に即して話を進めていこう。以下、「小学館フラワーコミックス版(復刻版)」に準拠する。……とここでわざわざ断りを入れるのは、70年代に雑誌掲載された『ポーの一族』全15話は、まとめられた単行本・文庫によって順番が入れ替えられているからだ(それゆえ時系列順に並んでおらず、時間軸上を行きつ戻りつするので複雑化しているが、こうしたテクストの「断片化」は極めて18世紀以来のゴシック・ロマンス的手法といえる)。
まず第一巻の巻頭を飾る「ポーの一族」という表題作からして、「雨」と「雷」が極めて印象的で、シーラ・ポーツネルがクリフォード医師にバンパネラと見破られるあたりから、俄に嵐が吹き荒れる【図1・2】——まるで吸血鬼と気候変動を結びつけるように。それに続く「ポーの村」では、「霧」のなかで迷ったとき、グレンスミスはエドガーの妹・メリーベルに出会い、鹿と誤って銃で撃ってしまう。そして「霧」の向こうに、吸血鬼の里がある。
図1・2 『ポーの一族 復刻版①』(小学館フラワーコミックス、2016年)、97ページ、109ページ。雷雨と吸血鬼のゴシック的結合。
天気というか天候不順がバンパネラに結び付けられているのは明らかで、エドガーはいつも被害者のところに霧を纏うように、強風とともに窓から侵入するし、エドガーの血によって「はるかなる一族」に加えられたアラン・トワイライトとメリーベルに至っては、「湿気」に弱い吸血鬼という設定になっている。基本英国が舞台だから、雨と曇天のイメージを引きずって、吸血鬼特有の孤独なメランコリーと結びつけてるのでしょう、と解くこともできる。実際18世紀には、ヒポコンデリーという一種の男性版ヒステリーは「英国病」などとフランス人から揶揄され、イギリスの雨や気温のせいにされた。こうした気性(temperament)と気温(temperature)の照応は、古代ヨーロッパのヒポクラテス学派の四体液説から見られる伝統でもある。人間性格の四パターンが、人体を流れる四体液と四大元素(火・水・土・風。ようするに気象に関わるもの)に結び付けられた古い伝統があるのであり、アリストテレスのあまり顧みられない著作『気象論』にもそうした記載がある。
となんだか壮大だが、『ポーの一族』に関して言えば、話はもっとピンポイントに絞られる。この200年を超える物語の骨子となるエピソード(「メリーベルと銀のばら」「ポーの一族」「エヴァンズの遺書」その他)が18~19世紀にかけてのヨーロッパ(イギリス・ドイツ)に集中しているというのが重要で、端的にロマン派が出現した時期に相当している。そしてこのロマン派が言祝いだものこそが、荒れ狂う嵐、立ち込める霧といった気象(メテオール)だった。ドイツに現れたゲーテやシラーなどの第一波ロマン派運動が「疾風怒濤(シュトルム・ウント・ドラング)」と呼ばれたことが象徴的だ。
ロマンティック・ウェザー ——「天気の子」としてのバンパネラ
アーデン・リードという人の『ロマン派的気象——コールリッジとボードレールの天候』(ブラウン大学出版、1983年)【図3】という大変ユニークかつ面白い本があって、以下この本をベースに『ポーの一族』お天気論を試みていく。先だって「気象(メテオール)」などと書いたが、メテオール(meteor)は今では「流星、隕石」という意味しか残っていない。しかしそれに学問を意味する「ロジー(-logy)」がくっ付くとなぜか「気象学(メテオロロジー)」の意味になることを、読者は不思議に思うかもしれない。
メテオールは嵐、虹、風、光、霧といったいわゆる気象的な意味のほかに、元々ヨーロッパでは隕石落下や地震、火山噴火などの意味まで含まれていた。ようするにピタゴラス主義的なカッチリした「世界の調和」が乱されるような、宇宙的な不確定要素の全般を指していた。ゆえに気象(メテオール)とは不確定なもの、移り変わり易いもの、定義できないカオスなものだったわけだが、これが啓蒙主義の精密科学によって駆逐される——中谷宇吉郎の科学エッセイのタイトルを借りるならば「霧退治」が行われたのだ。
こうして合理的思考によってむらっ気のある「気象」は排除されたのであるが、それに反旗を翻したのが非合理を言祝ぐロマン派の天気観だった。『ポーの一族』の時系列的に最初のものにあたる、エドガーがいかにしてバンパネラになったかが描かれる「メリーベルと銀のばら」(フラワーコミックス第二巻)が1744~1754年という、ちょうどプレロマン派としてのゴシックが出現する端境期に年代設定していることは見逃せない。雷雨や天変地異を愛するゴシック的感性という非合理的なものが噴出しかけていた時期に、エドガーは吸血鬼というカオス極まりない存在に転じ、時代精神を体現するのだ。