水晶の官能、貝殻の記憶ーー後藤護が着目した『進撃の巨人』の小さなモチーフ

後藤護の『進撃の巨人』評

 稀代の傑作『進撃の巨人』は人類に何を問いかけるのかーー2021年4月に約12年に及ぶ連載に終止符を打った漫画『進撃の巨人』を、8人の論者が独自の視点から読み解いた本格評論集『進撃の巨人という神話』が3月4日、株式会社blueprintより刊行される。

 『ゴシック・カルチャー入門』(ele-king books)などの著作で知られる暗黒批評家の後藤護は、『進撃の巨人』という「大きな」物語における「小さな」モチーフに着目し、「水晶の官能、貝殻の記憶」と題した論考を寄稿。リアルサウンドブックでは、本書から一部を抜粋してお届けする。(編集部)

ミクロコスモス的思考

 『進撃の巨人』は全三四巻におよぶ「大きな」物語である。北欧神話をベースにした壮大な巨人神話をブリコラージュ的に組み上げ、転換点となるマーレ篇になるとナチス・ユダヤ問題を明らかに下敷きにした世界大の人種政治問題にさえ踏み込む。実に「大きな」話だが、端的に「巨人」が闊歩する世界観なのだから、そうしたビッグ・サーガ志向、「壮大への渇仰」(L・クローネンバーガー)も致し方ない。しかしだからこそ、それに逆らって「小さな」もの、地下に眠る鉱物的佇まいの小さなものたちに目を向けることで、新たな視野が開ける、と言いたい。というのも、アニを包みこむ水晶体、エレンが携えた地下室の鍵、アルミンが拾い上げた貝殻、ミカサのマフラーをつつき舞い上がる小鳥など、そうした「小さな」モチーフがときに「大きな」物語を凌駕する——図式的な寓意(アレゴリー)による理解を超えた——溢れんばかりの詩的イマージュを提供しているからだ。小さいものを拡大レンズにして「世界」が透視される。小ささに大きさがくるまれた「胡桃の中の世界」(澁澤龍彥)のもつパラドックスの豊穣! 

 本論では四大元素の学匠詩人ガストン・バシュラールの提唱した「物質的想像力」を軸に、『進撃』の世界に立ち現れる「なんでもない一瞬」の、しかし「すごく大切な」イマージュの豊かさを見ていきたい。いわば女王ヒストリア・レイス(歴史+人種)という名前に大々的に公示された「大きな」テーマではなく、その身を窶したる姿であるクリスタ・レンズ(水晶+光学)の名前に隠された「小さな」鉱物・結晶的想像力の寂滅の世界の扉を開きたいのだ。

水晶の眠り

 グロテスクな「無垢の巨人」が溢れかえり、「超大型巨人」や「鎧の巨人」が壁を破壊する危機的状況。前置きもない終末世界、休みなき奇襲・残虐・裏切りの波状攻撃、そして立体機動装置によるスチームパンク忍者(?)と呼ぶべき剣戟のダイナミクスが与える眩暈が、マーレ編突入までの読みどころであるのは間違いない。しかしそのようなカオス的状況だからこそかえって目立つのが、水晶体に包まれたアニ・レオンハートの無言である。「女型の巨人」の張本人であることが露見したこの小柄な女性戦士は、巨人化したエレンに首筋の本体を攻撃される直前に間一髪、決して壊れない頑強無比の水晶体を形成して、そのなかで「眠り姫」と化す。エルヴィン・スミスはこう発言する。「全身を強固な水晶体で覆われているため情報を引きだすことは不可能です」(八巻178ページ)。ライナーやベルトルトが正体を露わにするまで、巨人侵略の謎はしばしサスペンドされてしまう。

M・C・エッシャー「対照(秩序と混沌)」(1950年)。雑多なゴミに囲まれた、中心の星型多角体と球体はネオプラトニズム的なイデア=謎を象徴している。グロテスクな巨人がうごめくカオス状世界のなかで水晶化したアニと相似形の一枚。

 エルヴィン団長の言葉の含蓄は深い。アニは目の前にいる。しかし硬質な水晶は触れることを拒み、さらにはコミュニケーションによる共感作用を拒み、外部性を遮断して内部性のなかにのみ生きる。透明な謎(不透明)として、水晶と同一化したアニは孤絶する。この時点で激動の物語とは違った時間——永遠性という無時間——を、この透明なオブジェは生き始めるのだ。それは神秘の光を放ち始め、感受性に恵まれた読者であれば、ページを次々と捲る手を休め、夢想を開始するだろう。ドイツロマン派の天才ノヴァーリスの箴言を思い出す。「すべての透明体は、より高き状態にいる——それは、意識の一種を持っているように見える」。水晶の輝きに見惚れ、没入した幻視者のみに理解できる「想像力の事実」(バシュラール)がここにはある。水晶に閉じ込められたアニ本体は、物質的想像力を喚起し、「生きている水晶」の神話を立ち上げる起動装置に過ぎない、とさえ言えるかもしれない。宿主がいなくなっても、貝殻が美しいように。それほどに、水晶体は独立した美として発光し、蠱惑し続ける。

(続きは『進撃の巨人という神話』収録 後藤護「水晶の官能、貝殻の記憶」にて)

■書籍情報
『進撃の巨人という神話』
著者:宮台真司、斎藤環、藤本由香里、島田一志、成馬零一、鈴木涼美、後藤護、しげる
発売日:3月4日(金)
価格:2,750円(税込)
発行・発売:株式会社blueprint
予約はこちら:https://blueprintbookstore.com/items/6204e94abc44dc16373ee691

■目次
イントロダクション
宮台真司 │『進撃の巨人』は物語ではなく神話である
斎藤 環 │ 高度に発達した厨二病はドストエフスキーと区別が付かない
藤本由香里 │ ヒューマニズムの外へ
島田一志│笑う巨人はなぜ怖い
成馬零一 │ 巨人に対して抱くアンビバレントな感情の正体
鈴木涼美 │ 最もファンタスティックなのは何か
後藤 護 │ 水晶の官能、貝殻の記憶
しげる │立体機動装置というハッタリと近代兵器というリアル
特別付録 │ 渡邉大輔×杉本穂高×倉田雅弘 『進撃の巨人』座談会

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「コラム」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる