人と人とをつなぐ“鍵”としての本 『書痴まんが』編纂者が語る、古書店が生み出す魅力
『書痴まんが』(ちくま文庫)は「本」に関連した短編作品を集めたアンソロジーだ。本を通した東京見物の思い出を振り返る『新宿泥棒神田日記』(うらたじゅん作)、謎の巻物を拾った漫画家の行く末を描く『巻物の怪』(水木しげる作)、中学生男子が貸本屋である「試み」を企てる『雨とポプラレター』(山本おさむ作)など収録作品の幅は広く、それはちょうど「本」の世界の広さを反映したもののようにも感じられる。
編者である山田英生氏は、 1968年生まれのフリーランスの編集者・記者。内外タイムス、アサヒ芸能記者などを経て、現在では、書籍、コミックの企画編集、雑誌記事の取材執筆に携わっている。これまでも「温泉」や「貧乏」などをテーマに、さまざまな漫画アンソロジーの編纂を行ってきた。『書痴まんが』で多くの作品の舞台となる古書店の魅力、紙の本を読む意義、また山田氏の本にまつわる思い出などについて、お話をうかがった。(若林良)
(『書痴まんが』表紙イラストは漫画家・諸星大二郎氏と「大阪古書研究会」の厚意で使用できたという。)
「書痴」というテーマのきっかけ
――「書痴」とは日常ではあまり聞きなれない言葉ですが、これをアンソロジーのテーマにした理由を教えてください。
山田英生(以下、山田):「本」をテーマにしたアンソロジーを編むこと自体は、これが初めてではありませんでした。もともと、書物や書店をテーマとした『ビブリオ漫画文庫』(ちくま文庫)というアンソロジーを2017年に出版したのですが、その続編を作ろうという案が出たんです。では、タイトルをどうするか。最初は「愛書」でいこうかと思ったのですが、辰巳ヨシヒロさんの『愛書狂』を入れようとなったときに、それはちょっと違うな、となりました。読んでいただければおわかりのように、『愛書狂』の主人公の本への執着は常軌を逸したものですし、必ずしも品行方正ではない本好きを形容する言葉としては、「愛書」は弱いなと思ったんです。そこで何があるかと改めて考えたときに、読書ばかりして、それ以外のものを顧みないという恥ずかしさのニュアンスを含んだ、「書痴」という言葉を担当編集者から提案され、すんなり決まりました。
――『愛書狂』は確かに主人公の本への執着に圧倒されますね。同時に古書市での駆け引きや、古書店の趣のある雰囲気など、古書にまつわる世界が細部まで綿密に描かれていると感じました。
山田:それは辰巳さん自身が、神保町で「ドン・コミック」という漫画専門の古書店を経営していたこともあるでしょう。ちなみに『愛書狂』は神保町のタウン誌「月刊 本の街」に連載されたもので、私自身もその存在を知ったのは最近になってからでした。さきほどお話しした担当の方に教えていただいて、ぜひこれを載せようと思ったんです。そう言っていただけると、収録をした甲斐がありましたね。
――『書痴まんが』は『愛書狂』をはじめ、書店での出会いを契機としたラブストーリーや、本から事件が生まれる怪談もの、また漫画とともに歩んだ人生を振り返る半自伝など、さまざまな作品が収められています。全4章「愛書狂」「本が運ぶ」「奇書と事件」「漫画愛」に分けられていますが、構成はどのように決められたのでしょうか。
山田:私が編むアンソロジーでは、基本的につげ義春さんや水木しげるさんの作品は毎回収録するようにしています。ですので、まず大御所の先生の「書痴」に該当する作品で読み応えのあるものを選び、発表の年代やテイストなど、全体的に幅広さと統一感が出るように、さまざまな漫画家さんの作品をピックアップしました。その中である程度近いものをグループ分けしていって、各章のタイトルを決めていった感じですね。
また、収録作品は私の独断で決めたわけではありません。ちくま文庫の担当の方は漫画の造詣が深く、永島慎二さんの『ぼくの手塚治虫先生』を推薦してもらいました。当初、同じ永島さんの『花いちもんめ』という作品でいこうかと思っていたのですが、50ページと少し長いので、今回は見送った形です。ただ、『花いちもんめ』はぜひ読んでほしい作品です。戦後間もなくの、下町に暮らす少年たちが主人公ですが、彼らがデビューから間もない手塚治虫さんの作品に夢中になっていたことが描かれています。永島さんが憧れだった手塚さんに大きな励ましを受ける、『ぼくの手塚治虫先生』と合わせて読んでいただくことで、より面白さがアップするのではないかと思います。
紙の本、古書店ならではの愉しみ
――山田さんから見て、漫画における「本好き」の描かれ方はどのように変わってきたと思われますか。
山田:描かれ方の変化というよりは、まず本の価値が時代の流れの中で変わってきたので、それを個々の作品が自然と反映してきたと言ったほうが適切ではないかと思います。
今回収録した山本おさむさんの『雨とポプラレター』や松本正彦さんの『劇画バカたち!!』にその一端が見られますが、戦後まもない時期から60年代はじめまでは、いまだ社会全体が貧しく本を買うことができず、貸本という文化が盛んでした。そのため、当時を振り返る漫画には、本を宝物のように描く傾向が見られますが、高度経済成長などを経て、本は良くも悪くも、容易に手に入れることができるようになりました。そうした時代になると、本の役割はいわば物語をもたらす「鍵」のようなものに移行していきます。本来は出会うことのなかった人たちが出会うきっかけになったり、事件を生み出す要因となったり。そのような傾向が、うらたじゅんさんや森泉岳土さんなど近年の作品には反映されています。
――なるほど。ちなみに山田さん自身は「鍵」としての本のエピソードはおありでしょうか。
山田:そうですね……。「サンコミックス」(朝日ソノラマから刊行、全927巻)のエピソードでしょうか。松本零士さんや永井豪さん、竹宮恵子さんなど名だたる作家さんたちの作品が収録されていた人気の高いブランドです。資料として私もよく利用するのですが、永島慎二さんの作品が収録されている巻を古書店で購入した際、もともとの所有者の名前が入っていたんです。それを見ると、なんと、数年前に亡くなった友人の名前でした。
似たエピソードですと、「月刊漫画ガロ」のバックナンバーを購入した際、小口の部分に「つげ」と書かれていたことがありました。関係のない人のいたずら書きかもしれませんが、つげ義春さんの字によく似ていて。ご本人には直接聞いてはいないのですが、もしつげさんの本だったとしたら、刊行された時期には息子さんがまだ小さかったので、「自分のものには名前を書く」という教えの意味で書かれたのかも……などと、いろいろと想像が広がっていきます。