貫井徳郎『邯鄲の島遥かなり』は歴史小説だーー島の一族が見た、明治から令和までの日本

歴史小説としての『邯鄲の島遥かなり』

 貫井徳郎の『邯鄲の島遥かなり』は、上中下巻の大作だ。神生島で生きる、一ノ屋という一族を通じて、明治から令和の始まりまでを描いた大河小説である。終盤の話は現代が舞台になっているが、それもひっくるめて、私は歴史小説として本書を味わった。なぜなら、ここに書かれているのは、まぎれもなく日本の近代史だからだ。

 本書は全十七部で構成されている。主な舞台は神生島。島民は本土のことを〝くが〟と呼んでおり、島のはっきりした位置は不明。ただ、ストーリーが進むにつれ、このあたりかなと、見当がつくようになっている。第一部「神の帰還」は、その神生島に、イチマツこと一ノ屋松蔵が帰ってくる。島で特別視される、一ノ屋の末裔で、怖ろしいほどの美貌の持ち主だ。ちなみに一ノ屋の男は、数代ごとに美男子が生まれる。一方、女性の容貌はそれほどでもない。

 新選組の隊士だったが、維新の動乱の渦中で、袂を分かったイチマツ。島に福をもたらす存在として、上げ膳据え膳の生活をおくる。さらに島の多数の女性たちと関係しながら、ブラブラと生きていくのだった。

 新吉という島の少年の視点で語られる物語は、艶笑譚めいている。その中から、死に場所を得ることができず、無為に生きるイチマツの悲哀が浮かび上がってくるのだ。そしてイチマツと女性たちの間に生まれた子供たちや、その子孫たちは、イチマツ痣と呼ばれる独特の痣を持って生まれるようになる。

 第二部「人間万事塞翁が馬」以降は、そのイチマツの血を引く人々が主役になる。馬鹿だと思われていたが、優れた才能を持っていた少年。島に徳川埋蔵金があると信じて、それを捜すことに一生を費やした男。一ノ屋の血を引きながら、なぜが絶世の美女に生れた女。芸術の才能を持ちながら、別の道を歩む男。第一回男子普通選挙に立候補した男。高校野球に青春を賭けた少年……。一話ごとに内容を変えながら、時代は滔々と流れていく。

 感心したのは、その流れの中に、近代日本の出来事を凝縮したことだ。御一新。選挙。関東大震災。戦争と空襲。戦後の復興。野球ブーム。東日本大震災。あくまで島に焦点を合わせながら、近代史の出来事を盛り込んでいく、作者の手際が鮮やかだ。オチに使われているので詳しくは書かないが、第十一部「超能力対科学」では、このネタをここに持ってくるのかと驚いたものである。近代の歴史を、面白くたどっていけることが、本書のひとつの魅力になっているのだ。

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