「ビッグコミック」創刊号の執筆メンバーが切り開いた道 その功績に迫る

「ビッグコミック」創刊号の執筆者たちが切り開いた道

 2021年10月8日、『カムイ伝』などで知られる漫画家の白土三平が死去した。また、9月24日には劇画家のさいとう・たかを(『ゴルゴ13』ほか)も亡くなっており、この2人の訃報は、多くの漫画ファンに“ひとつの時代の終わり”を否応なく感じさせるものであった。

 というのは、この白土、さいとうに、手塚治虫、石森章太郎(※)、水木しげるを加えた5名こそが、日本の青年向け漫画誌の草分け的存在である「ビッグコミック」(小学館)創刊号の執筆メンバーであり、つまり、今年の10月の白土の死去によって、その全員が鬼籍に入(い)ったということになるからだ。

(※)石森章太郎は1985年に「石ノ森」に改名しているが、本稿では「石森」で通す。

 そこで本稿では、あらためて、「ビッグコミック」という雑誌の功績について、考えてみたいと思う。

新しい世代の漫画読者の誕生

 「ビッグコミック」が創刊されたのは1968年。まだまだ世間的には“漫画は子供のもの”という印象が強かった時代に、あえて大人の男性(青年)読者に向けて作られた漫画誌のひとつだった。

 ちなみに、先行する大人向け漫画誌としては、「週刊漫画TIMES」、「週刊漫画サンデー」、「週刊漫画ゴラク」(の前身的雑誌)、などがあり、(「ビッグコミック」創刊の前年の)1967年には、「週刊漫画アクション」と「ヤングコミック」が創刊されている。また、「ガロ」(1964 年創刊)や「COM」(1967年創刊)といった実験的な雑誌も目の肥えた漫画ファンの支持を集めており、白土・水木は前者と、手塚・石森は後者と関係が深い。

 さらにいえば、「週刊少年マガジン」が60年代の末あたりから、さいとうや水木のような、いわゆる「貸本」系の漫画家(劇画家)を多く起用するようになっており(これにはなかなか興味深い裏事情があるのだが、文字数の関係で、本稿では特に説明はしない。気になる方はネットなどで調べられたい)、そうした漫画家たちが描いた、娯楽性の高い「大人のドラマ」や「リアルなアクション表現」は、それまでの子供向けの漫画に飽き始めていた“少年”読者たちを夢中にさせた。

 いずれにせよ、こうした時代の“流れ”があったうえで、満を持して――といっていいだろう――「ビッグコミック」は創刊したのである。つまり、60年代の終わり頃には、漫画はもはや子供だけのものではなくなりつつあり、そうした“新しい世代の漫画読者”への受け皿が求められていたともいえるだろう。

5人の巨匠の意欲的な作品

 なお、「ビッグコミック」創刊号のラインナップは以下のとおりである(掲載順)。

・白土三平『野犬』
・手塚治虫『地球を吞む』
・石森章太郎『佐武と市捕物控』
・水木しげる『妖花アラウネ』
・さいとう・たかを『ラウンド10に弔いの詩(うた)を』

 おそらくこの中で、「ビッグコミック」創刊以前から意識的(あるいは積極的的)に“大人向けの漫画(劇画)”を志向していたのはさいとう・たかをのみだろうが、いずれも、目の肥えた年齢層の高い読者たちに向けた“新しい漫画”を描こうという意欲に満ちた作品ばかりである。

 特に、ところどころでシナリオのような長いテキストを挿入している石森の『佐武と市捕物控』の実験性や、白土が『野犬』で見せた、「主人公の少年が絶望して自殺する」という衝撃的なエンディングなどは、それまでのメジャーな少年誌ではなかなか描くことのできない類いの表現だったろう。また、“漫画の神様”手塚治虫も、『地球を吞む』において本格的な“大人の漫画”に挑んでおり、その試みは、のちの『きりひと讃歌』、『奇子(あやこ)』、『ばるぼら』、『MW(ムウ)』といった、人間のダークサイドをえぐる傑作・怪作群の執筆につながっていく(いずれも「ビッグコミック」連載作)。

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