「LaLa」編集長が語る、45年の歴史と作家との関係性 「“これはLaLaらしい”と誰もが感じる作品を送り出していきたい」
今年45周年を迎えた少女マンガ誌「LaLa」。創刊号から現在に至るまで、独自の世界観で斬新な「恋愛マンガ」、そして「恋愛マンガ」以外も読みたいという読者の受け皿となってきた。今回、6月に編集長に就任した佐藤一哉氏に45年間の歴史、作家との関係性、電子やWEBでの展開、そして「LaLa」が持ち続ける矜持について聞いた。(編集部)
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作家が自由に自己表現できる環境を整える
――佐藤さんは、入社後すぐ「LaLa」編集部に配属されたんですよね。
佐藤一哉(以下、佐藤):2002年から丸15年、「LaLa」に所属して、その後「花とゆめ」編集部に異動しました。4年のうち、3年は編集長を務めたあと、今年の6月にふたたび「LaLa」に戻り、編集長をやらせていただいています。
――もともと少女マンガがお好きだったんですか?
佐藤:いや、実をいうと入社時に志望していたのは、青年誌の「ヤングアニマル」なんですよ。妹が読んでいた『ママレード・ボーイ』(吉住渉/集英社)などの人気作には触れていたんですけど、少女マンガというジャンル自体にはほとんど造詣がなくて。「LaLa」に配属されて、先輩方の仕事ぶりを見ながら、一から覚えていった感じです。なじみやすかったのは、「LaLa」が少女マンガだからといって、恋愛にこだわる作品づくりをしていなかったことですね。
――確かに。私も10代のころは「LaLa」や「花とゆめ」にお世話になりましたが、夢中になった理由が、恋愛一辺倒じゃない、というところでした。もちろん恋愛も描かれるんだけど、それより物語の枠組みを重視しているというか……。
佐藤:よく「雑誌のコンセプトはなんですか」と聞かれるんですけど、実をいうと「LaLa」にも「花とゆめ」にも代々引き継がれている何かみたいなものが特になくて。編集部で働きながら肌で感じろ、という感じなんです(笑)。ただ、言語化できることがあるとするなら、おっしゃるように、学園が舞台の恋愛マンガ以外を読みたいと思っている読者の受け皿になりたい。作家さんも、それ以外を描きたいと思っている方々の可能性を伸ばしていこう、という気風は昔も今も貫かれていますね。
――佐藤さんの入社当時、人気があったのはどんな作品ですか?
佐藤:いちばんヒットしていたのはやっぱり『彼氏彼女の事情』(津田雅美)ですね。――学園ラブコメではありますけれど、主人公・雪野の見栄っ張りで愉快な性格をはじめ、型破りな描写が多かったですよね。
佐藤:そうですね。あと、入社してすぐに『桜蘭高校ホスト部』(葉鳥ビスコ)の連載を先輩がたちあげていて。あの作品もイケメンばかりのホスト部に、一人だけ女の子が紛れ込むといういわゆる逆ハーレムモノですが、なかなか恋愛には発展しないし、どちらかというとコメディの要素が強かった。
――その二作にも代表されるように、「Lala」や「花とゆめ」など白泉社の少女マンガ作品は、王道の設定を著者の好みで自在にアレンジしていくものが多い気がします。こんな言い方していいのかわからないんですけど、フェチ性の強い作品が多いな、と。
佐藤 確かに弊社のマンガは、そこはかとなくフェチ性を感じるものが多いかもしれません(笑)。でも、それは編集者側が意図して仕掛けられるものではないんですよ。むしろ計算すればするほど読み手は醒めてしまう。読者の心に刺さるためには、まず作家さんが自由に自己表現できる環境を整えることが大事で、作家性を活かしながらいかに商業としてのクオリティをあげていくかを考えるのが、私たちの仕事なんだろうと思います。
――それって、創刊当時から貫かれている姿勢でもあるんでしょうか。
佐藤:おそらくは……。私の生まれる前のことなので正確なことは言えないですけど、「LaLa」を創刊した小長井(信昌)さんは、集英社で「別冊マーガレット」の編集長を務めていた方で、白泉社の立ち上げメンバーのひとりなんですけれど、おそらくは「別冊マーガレット」はまた違うドラマ性をもった作品をつくろうというお気持ちはもちろん、懐の深い雑誌であろうという意志はあったと思います。
――言われてみれば「LaLa」は、『日出処の天子』(山岸凉子)を連載開始させた雑誌ですものね……。今読んでも衝撃的なあの作品を1980年に掲載したというところに、相当な懐の深さを感じます。
佐藤:そうなんですよ(笑)。はたから見たらチャレンジングだなと思われる作品も、おもしろければ載せる。その姿勢を貫き続けることで、作家さんも「この雑誌なら受け止めてくれるかもしれない」と作品を持ち込んでくれる。その積み重ねが今の「LaLa」らしさをつくったんじゃないかと思います。
――編集長によって、多少、雑誌としての色に違いが出たりはするんですか?
佐藤:それはもちろん、あると思いますよ。雑多性の強い雑誌なので、基本的には何を載せてもOKではありますが、やっぱりラブコメ好きの編集長とファンタジー好きの編集長では、強化されるものは異なってくると思います。私の場合は、ジャンルの好みというのはそれほどなくて。作家さんが才能を輝かせている瞬間に立ち会うことが好きなんですよ。だから、編集者と組むことによって、作家さんひとりで描くよりも二倍、三倍おもしろくなっていくような企画を期待しています。
――佐藤さんご自身は、いち編集者だった時代に、緑川ゆきさんと『夏目友人帳』の連載をたちあげたんですよね。佐藤:はい。先ほども申し上げたとおり、当時の私は、少女マンガじたいの勉強を始めたばかりで。萌えの強い作品づくりが得意な先輩、ギャグの感度が高い先輩、骨太な物語を描く作家さんに寄り添うタイプの先輩と、いろんな強みをもった編集者と同じ土俵で戦うにはどうしたらいいか?をずっと考えていた。そんなとき、緑川さんに出会ったんです。もともと、緑川さんの描かれる読み切り短編も含めて、作家性に惹かれるところが強かったところに『夏目友人帳』の企画を持ち込んでくださって。これなら、並み居る連載陣にも太刀打ちできる作品になるんじゃないかと思いました。
――どんなところに、特別なものを感じたんですか?
佐藤:線の細さのなかにも芯のあるファンタジー、というジャンル自体が当時の「LaLa」にはなかったものでしたし、読み心地も恋愛ではなくて感動重視、だからといって湿っぽくなりすぎず、ちゃんと笑える部分もある。というのが、とてもいいなあ、と。まあ、あとはやっぱり、少年と猫という組み合わせがよかったですよね。主人公が夏目だけでは、これほどのメガヒット作にはならなかったんじゃないのかな。
――じゃあ、ニャンコ先生を見て「これはヒットするぞ!」と?
佐藤:そう言えたらカッコイイんですけど、そこまでの自信は正直、なかったです(笑)。ただ、これはきっといい作品に育っていく。緑川さんの繊細な絵にもマッチして、きっと多くの人に読まれるんじゃないか、とは思いました。