『マイ・ブロークン・マリコ』の平庫ワカ、初期作品集『天雷様と人間のへそ』の完成度に驚き
『マイ・ブロークン・マリコ』発表後の作品も
『天雷様と人間のへそ』は、ある日、突然、大切な人を失ってしまった者の物語だ。そういう意味では、『マイ・ブロークン・マリコ』と同じ骨格を持った作品だといえなくもないが、こちらの物語はこの国にまだ侍がいた頃の話――さらにいえば、超自然的な存在が出てくる時代ファンタジーである。
主人公は、身寄りのない子供たちを集め、手習塾を開いている一田宗次郎という青年。ある時、この宗次郎が燕十三郎という剣豪を雇ったことで、物語は動き出す。
宗次郎の母(実の母ではなく育ての親)は、かつて「天雷様」によって連れ去られており、彼は、ある秘策を練って、十三郎と子供たちとともに、奪われた母を取り戻そうとしているのだった。しかし、激しい落雷と豪雨のなか、ようやく対峙することのできた「天雷様」が、宗次郎に告げたのは……。
「復讐の物語」、あるいは「奪還の物語」という意味では、宗次郎の作戦は失敗に終わるが、彼がこの「戦い」を通して何も得なかったわけではない。
かつて、血のつながっていない母は、少年時代の彼にこんなことをいった。「あなたには私がついてますよ」と。その時、肩にかけてくれた優しい母の手の温もりを、彼は生涯忘れることはないだろうが、その時の彼女と同じ行為を、彼は知らず知らずのうちに、身寄りのない子供たちにしていたのであった。
ある場面で、宗次郎は、十三郎にこんなことをいう。「(母は)私に残された唯一の人なのですから」
それに対して、無精髭を生やしたむさ苦しい剣豪は、こう答える。「“唯一”じゃねぇだろう…」
そういう意味では、この物語は、「喪失の物語」ではなく、血のつながっていない「家族」が心でつながっていく、「再生の物語」だと考えたほうがいいだろう。
また、巻末に収録されている『ホット アンド コールドスロー』は、初期作品ではなく、『マイ・ブロークン・マリコ』発表後に描かれた比較的新しい作品(2020年8月に公開)。これもまた、新たに「家族」が作られていく物語だといえなくもないが、出産を前にした若い夫婦の葛藤を描いた作品といえば、奇しくも、今回の文化庁メディア芸術祭のマンガ部門で優秀賞を受賞した、山本美希の『かしこくて勇気ある子ども』と比較可能な物語でもある。
いずれにせよ、平庫ワカと山本美希という、時代を代表する鬼才ふたりが、同じような時期に同じようなテーマを選び、かつ、それをそれぞれの味で料理しているのを見れば、漫画という表現の自由さと奥深さを改めて実感することができるだろう。
なお、『天雷様と人間のへそ』の巻末広告によると、平庫ワカの最新作、『海里と洋一』が、今年の夏から『COMIC BRIDGE』で連載開始予定とのこと。こちらにも期待したい。
■島田一志
1969年生まれ。ライター、編集者。『九龍』元編集長。近年では小学館の『漫画家本』シリーズを企画。著書・共著に『ワルの漫画術』『漫画家、映画を語る。』『マンガの現在地!』などがある。Twitter。
■書籍情報
『天雷様と人間のへそ―平庫ワカ初期作品集―』
平庫ワカ 様
715 円(税込/電子版)
公式サイト