なぜ日本でも“ミリタリーSF”は成立するようになった? 「星系出雲の兵站」シリーズ誕生の背景を探る
SFのサブジャンルのひとつに、ミリタリーSFがある。ミリタリーSFの定義は、なかなか難しい。大雑把に書くと、軍人が主人公、戦争や何らかの敵との戦いが題材、主な舞台は未来の宇宙といったところだろうか。
ロバート・A・ハインラインの『宇宙の戦士』あたりを起点として、アメリカの作品を中心にしながら発展していった。多数の作品が翻訳されているので、実際に読んでみれば、どんなジャンルであるか体感できるはずだ。
一方、日本でも谷甲州の「航空宇宙軍史」シリーズを始め、幾つかの優れたミリタリーSFがある。だが、それほど作品数が多いわけではない。なぜなのか。やはり戦後の歴史が関係しているのだろう。第二次世界大戦の敗戦国となった日本は、新たな憲法により「戦争の放棄」「戦力不保持」「交戦権の拒否」を定められた。これにより軍隊を持つことが不可能になったのである。その後、自衛隊が作られるが、存在を否定する人は多かった。また、戦中の記憶や、戦後の教育により、戦争も否定すべきものとされてきたのである。このような日本で、ミリタリーSFが生まれづらかったのは、当然のことといえよう。
巨大な軍隊を保持し、世界の警察を任じていたアメリカとは、あまりにも国の在り方が違いすぎていたのである。だが、時代を経たことで人々の意識は変わる。そのための傍証として、戦争冒険小説を挙げよう。第二次世界大戦を題材とした戦争冒険小説は、基本的に戦勝国のエンターテインメントであった。なぜなら戦争に勝った国だからこそ、自国の戦いを正義といえ、娯楽として楽しめるからだ。
しかし伴野朗が1978年に刊行した『33時間』(後に『三十三時間』と改題)を皮切りに、日本にも本格的な戦争冒険小説が現れるようになった。そして1988年の『ベルリン飛行指令』から始まる、佐々木譲の「第二次世界大戦」三部作によって、日本人による戦争冒険小説は市民権を得たのである。
もちろん当時の日本軍を肯定しているわけではなく、主人公を時代のはみ出し者やコスモポリタンにするなど、現代の読者に受け入れてもらうための工夫が凝らされている。ただ、このような作品がヒットした理由に、歳月の隔たりがあったことは間違いないだろう。戦争を歴史と認識する人が増えたことで、日本人による戦争冒険小説も、エンターテインメントとして成立するようになったのである。
その流れが、SFにも当てはめることが出来るように思われる。さらにいえば阪神淡路大震災における救助活動を切っかけに、自衛隊の活動が広く知られるようになり、肯定する人が増えた。また、インターネットの発達により、軍事関係の情報に触れるのが容易になり、昔より正確な知識を持つ人も増えた。かくして日本でも、ミリタリーSFを楽しめる読者が増加したのである。とはいえ、ミリタリーSFを書くのは大変だ。なにしろミリタリーの知識が必要であり、そのうえでSFとして面白い作品が求められるからだ。
この点を軽々とクリアした作品が、林譲治の「星系出雲の兵站」シリーズである。『星系出雲の兵站』全4巻と、『星系出雲の兵站―遠征―』全5巻で構成された大作だ。作品の評価は高く、現在、第41回日本SF大賞の最終候補作になっている。