「わきまえない女」が活躍する異色ミステリー『元彼の遺言状』がランクイン 1月期月間ベストセラー

「わきまえない女」が直面する地獄とは

貨幣崇拝とポトラッチ

 本作のもうひとつの軸は、主人公を含む「カネ(貨幣)に執着する人々」と「(過剰だが返報性のある)贈与経済に生きる人たち」の対比である。参考文献に挙げられ、また文中でも言及されるマルセル・モース『贈与論』で言及され、文化人類学の研究でよく知られる「ポトラッチ」がキーワードになっている。

 バタイユやポランニーを参照した経済人類学者で政治家に転身した栗本慎一郎がニューアカデミズム華やかりし1980年代によく使っていた概念としてある世代までは広く知られているが、簡単に言うと、いわゆる未開社会の一部には、宴の主催者が参加者に対して返しきれないくらいご馳走したり贈り物をしたりするが、しかしそれは一方的に受け取っておしまいではなく、それ以上に豪奢なお返しをしなければならないという、一見すると無駄で過剰で不合理な風習のことをポトラッチと呼ぶ。

 人類学者たちは、ここから「貨幣経済」の理屈には還元できない「贈与経済」の原理を見いだした。それを矮小化してノウハウに落とし込めばビジネス書に頻出するロバート・チャルディーニ『影響力の武器』で言われる「何かもらったらお返ししないといけないと感じる」という「返報性の原理」になるだろうし、文学的・哲学的に昇華すればバタイユの言う「蕩尽」になる。

 いずれにしても、貨幣経済のカネ勘定、すべてのものを貨幣価値に還元する価値観だけで考えると説明がつかないが、しかし当事者にとっては内的必然性がある行動をする生きものが人間である。

 そしてそういうことを書いた作品が『元彼の遺言状』だ。しかし、冒頭であまりに強烈に守銭奴ぶりとスペック重視の姿勢を見せる主人公に引きずられ、かつ主人公も作者も「女弁護士」であることに引きずられて同一視するという事態があいまって、主人公も作者も「お金大好きなんでしょ?」的に見ている人たちがAmazonカスタマーレビュー上などに散見される。筆者は「あいつは全然読めてない」的なマウンティングは嫌いだが、それでも「どういう話か読めてますか?」と言いたくなってしまう。

 普通に考えると、お金大好きな主人公が貨幣経済的な理屈だけだと見誤る世界に片足突っ込んでいく話だし、主人公と作家を同一視するのであれば「一見すると経歴ピカピカな人間だが、他人からはすぐには理解されがたい内的必然性を抱えている」存在としてくくるほうが自然に思える。

 「このミス大賞の賞金1200万円もらえてよかったですね」的なことを嫌味としてこの作家に対して書いている人がいたのだが、弁護士(インハウスロイヤー)の平均年収は750~1000万円くらい、会社によっては1500万くらいなのだから「カネが欲しくて投稿した」と作家の動機を理解するのは無理筋だろう。そんなことしなくても1年か2年働けばその程度の金銭は得られるのだから。

 ほとんどの小説は売れないし、一般論として、稼ぎたくて選ぶ職業として小説家は成り立たない。それでも小説を書きたいから書いたし、受賞するや執筆に集中するために高収入が得られる弁護士のほうを休職することを選んだのが新川帆立なのである。

 「頭よくて収入もあるのに物書きとしてもうまくいきやがって」(+「しかも女のくせに)的な妬みを誘因することは彼女自身わかっていて、そういうひがみを浴びせられるけれどもまったく「わきまえない」という主人公像を設定したのではないかとすら思ってしまう。だが16歳で作家になろうと志し、15年以上一貫してその想いを内なる炎として絶やさなかった書き手の動機が、世俗的な「成功」とは違う場所にあるだろうことは容易に想像がつく。

 色眼鏡や嫉妬心、ミソジニーを誘発するがゆえに話題になっていることも間違いないが、読み終えたあとには、それに引きずられすぎていないか(とくに男性には)省察してほしい一作だ。

■飯田一史
取材・調査・執筆業。出版社にてカルチャー誌、小説の編集者を経て独立。コンテンツビジネスや出版産業、ネット文化、最近は児童書市場や読書推進施策に関心がある。著作に『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの? マンガアプリ以降のマンガビジネス大転換時代』『ウェブ小説の衝撃』など。出版業界紙「新文化」にて「子どもの本が売れる理由 知られざるFACT」(https://www.shinbunka.co.jp/rensai/kodomonohonlog.htm)、小説誌「小説すばる」にウェブ小説時評「書を捨てよ、ウェブへ出よう」連載中。グロービスMBA。

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