フランスの漫画「バンド・デシネ」独自の魅力とは? 『レベティコ』翻訳者・原正人が語る、サウザンコミックスの挑戦
第二次世界大戦前夜の1936年、ギリシャはファシズムへの道をまっしぐらに進んでいた。当時ギリシャのアテネでは、レベティコという音楽が流行していた。レベティコのミュージシャンたちが歌ったのは、自らが属す下層階級の人々の生きづらい日常。下層階級の人々からは熱烈に受け入れられたが、当局にとって、彼らは社会のお荷物以外の何ものでもなかった――。
バンド・デシネ(フランス語圏の漫画)の『レベティコ-雑草の歌』は、ギリシャのブルースとも呼ばれる「レベティコ」の世界を、味わい深い絵と独特の詩情で描いた傑作。本作を、どうにか日本に広められないかと考えたひとりの男がいた。フランス語翻訳者の原正人だ。世界の漫画の翻訳出版レーベル・サウザンコミックス第一弾として、本作出版の支援者をクラウドファンディングで募った。すると650人の支援者により、目標金額2,500,000円を大きく上回る3,231,340円が集まった。今月8日、『レベティコ』は日本の書店に並んだ。
『レベティコ』の魅力、そしてバンド・デシネの魅力に憑りつかれた、原正人という人物に迫った。【インタビューの最後にプレゼント企画詳細あり】
日本のマンガではまずありえない濃密な画面と独特の色遣い
――サウザンコミックス設立までの流れを教えていただけますか?
原正人(以下、原):僕は2008年に翻訳を始めて、もう12年翻訳の仕事に携わっています。結構、出版企画を持ち込みするタイプの翻訳者なんですけど、通らない本というのもいくつもあるんです。『レベティコ-雑草の歌』がまさにそうでした。出版不況ということが長らく言われていますが、そのことも無関係ではないのでしょう。どうすれば企画が通るのか、そもそも新しい出版のやり方があるんじゃないか、さらには企画が通ったとして、どうしたら本が売れるのかということを、当然のように考えるようになります。そんな時に出会ったのが、サウザンブックスという出版社だったんです。サウザンブックス社は今のところ海外の本の翻訳出版に特化した出版社で、クラウドファンディングで資金を募り、目標金額に到達したら、その本を出版します。『レベティコ-雑草の歌』はどの出版社に持ち込んでもダメだったので、だったらこの新しい出版のやり方に挑戦しようと思い、結果として、プロジェクトは見事成立し、おかげさまでついにこの本を世に送り出すことができました。「サウザンコミックス」というのは、『レベティコ-雑草の歌』のように、なかなか日本語にならない海外漫画をクラウドファンディングを通じて翻訳出版していこうというサウザンブックス社のレーベルです。サウザンコミックスの話はクラウドファンディングのときから言っていたことなんですが、プロジェクトが無事成立して、いよいよ立ち上がったというわけです。
――翻訳のお仕事を始めてから、基本的には海外のコミックスを提案してきた?
原:そうですね。もともとはフランス文学を勉強していて、将来は研究者なのか翻訳者なのか、なれたらいいなと漠然と思っていたんですけど、どうすればなれるのかさっぱりわかりませんでした。大学院の修士を出た後、二年くらいフランス語とは関係ない仕事をして、やっぱりフランス語を使いたいなと思ったときに出会ったのが、フランスの漫画バンド・デシネでした。
バンド・デシネについてゼロからいろいろ調べ始めて、ちょっと傲慢に聞こえるかもしれませんが、「ここに空きがある」と思ったんです。エンキ・ビラルの作品の翻訳などで知られる貴田奈津子さんという方がいらっしゃいますが、その方以外に継続的に広がりを持ってバンド・デシネを紹介している人は、当時はいない印象でした。
――「空きがある」と嗅覚が働いたわけですね。
原:運もよかったんです。ちょうどmixiが出始めた頃で、オンラインでいろんな人と出会い、それがリアルで具体的なつながりに結実していきました。mixiでバンド・デシネのコミュニティーを作りつつ、リアルでは「BD(※バンド・デシネの略)研究会」という月一の集まりをしていたんですが、それもよかったんだと思います。その一連の流れの中で出会ったのが『ユーロマンガ』のフレデリック・トゥルモンドで、彼が『ユーロマンガ』を創刊したときに、僕を翻訳者として使ってくれ、それが今僕がこうして翻訳をすることができているきっかけになりました。
――日本の漫画はどういったものが好きでしたか?
原:中学高校のときは、やっぱり少年漫画のメインストリームが好きでした。中学のときによく読んでいたのは『週刊少年ジャンプ』、高校に入ってからは『週刊少年ジャンプ』と『ビッグコミックスピリッツ』でしたね。たまに他の雑誌もつまみ食い的に読んだり。大学生のときに『ドラゴンボール』が終わって、そこで一旦漫画は一切読まなくなりました。大学生になってから、遅ればせながら漫画以外の本を読んだり、映画を見たりするようになって、それからはそちらに夢中になっていった感じですね。。翻訳者としてはちょっと異色もしれないですけど、僕はそれまで本好きでもなんでもなかったんです。
大学卒業後、大学院に入る準備をしている間、本屋で働いていたんですが、その頃、改めて漫画に興味が出てきました。ちょうどその頃出た「別冊宝島」に『日本一のマンガを探せ!―20世紀最強のコミックガイド』というカタログ的な本があって、一番最後に「異端の作家たち」という章があって、ガロ系の作家などが紹介されていたんです。それまで全然知らなかった世界だっただけに、こんな漫画があるんだ!とびっくりして、書店で働いていたこともあって、のめり込んでいきました。その頃読んだものが今の僕の趣味の大部分を培っていると思います。
――原さんがバンド・デシネに感じた魅力とは?
原:最初は単純に、知的好奇心でした。いろいろ調べていく中で初めて「これ、すげえな」と思ったのは、ニコラ・ド・クレシーという作家の『天空のビバンドム』という作品でした。2003年に川崎市民ミュージアムで行われた「フランスコミック・アート展」という展覧会で原画の一部が展示されたようですが、僕は行っていなくて、カタログを後から取り寄せて衝撃を受けました。この作品は後に僕が自分で翻訳することになります。日本のマンガではまずありえない濃密な画面と独特の色遣いで、それが一番最初に感じた魅力ですね。
バンド・デシネの魅力の一端は明らかにヴィジュアルにありますが、それだけというわけではありません。例えば、マルジャン・サトラピの『ペルセポリス』という作品がありますが、これはイラン人の女性の自伝で、イラン革命、イラン・イラク戦争という激動の時代に少女時代を過ごし、その後、ヨーロッパに逃れ、漫画家になった彼女の半生が描かれています。バンド・デシネに限らず、世界中の漫画に言えることですが、僕らにはあまりなじみのない歴史的事件を背景に描かれた自伝的な作品にはすばらしいものが多いです。この作品は漫画家・イラストレーターの西村ツチカさんも大好きだと公言されています。
――サウザンコミックス第一弾として『レベティコ』を選んだ理由は?
原:やはり好きな作品だというのが、いちばん大きいですね。2009年に原書が出て、わりと早く読んだと記憶していますが、アートもストーリーもすばらしく、読んですぐに魅了されました。2012年には作者の来日があって、イベントで共演させてもらいました。好きな作品で、作者を個人的に知っているだけに翻訳したい気持ちは強かったわけですが、先ほどもお話ししたとおり、最終的に出版社のOKが出ることはありませんでした。
もうひとつ重要なのは、本作が僕に知らない世界を発見させてくれたという点です。タイトルにもなっている「レベティコ」のことですね。レベティコはレベーティカとかレンベーティカとも呼ばれますが、ギリシャのブルースと評される音楽で、1920年代に、ギリシャとトルコの間の交流や衝突から生まれたと言われています。本作を読むまでこの音楽のことは全然知らなかったんですが、本作で知り、興味が出て聴いてみたら、アラブ系の音楽を思わせるところがあってめちゃくちゃカッコいい。今まで知らなかった世界を垣間見せてくれる作品ってやっぱりいいですよね。