『ブルシット・ジョブ』著者が資本主義に投げかけた問いとは? “クソどうでもいい仕事”の本質を考える
さてここで、この2つを結び付けて、我々の仕事や未来というものを考えてみたい。
まず現在、多くの国において仕事はその人の生存と結びついているということだ。また、需要と供給の関係だけで言えば、その人の仕事が他の人には代替できない、すなわち代替可能性の低く、希少価値の高い仕事ができる人により高い報酬が支払われる。少なくとも資本主義経済下では、基本的にそのような力学が働く。
では、そのような経済活動の基本思想を否定し、仕事と生存(仕事がないと飢えて死ぬ)とを切り離すとすれば、計画経済を前提とする社会主義を採用するか、グレーバー氏が支持する無政府主義を選択すればよい。ちなみに無政府主義という単語には次のような解説がなされている。
大辞林 第三版の解説
国家をはじめ一切の政治権力を否定し、個人の完全な自由およびそうした個人の自主的結合による社会を実現しようとする思想。プルードン・クロポトキン・バクーニンらに代表される。アナーキズム。
第二次世界大戦後、経済活動の大前提をどう選択するかで、世界は東西冷戦、日本においてもレッドパージ(共産主義者追放政策)が行われるなど、思想をめぐり人々は激突することになった。だが、結果として多くの国は、計画経済も無政府主義をも選び取ることがなかった。人には欲望があり、がんばってもがんばらなくても取り分は同じというシステムに魅力を感じなかったのだ。
そしてもう一つ、無政府主義の定義である「個人の完全な自由」と仕事であるが、ある意味で個人がブルシット・ジョブを減らすのは簡単だ。大企業から中小企業へ、もっと言えば個人で仕事をすればよい。
大企業勤めからフリーランスになり、管理業務が著しく減ったという経験をされた読者もいることだろう。
だが、だ。人は自由を必ずしも欲していない。自由には当該個人の生存をも含めた責任がともなう。愛する家族を養っていれば尚更だ。そして、この責任を取り切れないかもしれないと当の本人が認識し、自由から逃走するのである。
したがって、引き続き現在の社会秩序に従うとすれば、人間の職業選択は「自由」と「恐怖」と「欲望」の3つの軸のどこかにプロットされるのだ。
なお、これはデヴィッド・グレーバー氏の理論を否定するものではない。氏が存命であれば、行き過ぎた資本主義について大いに議論し、その前提条件をどう修正していくか、結論の方向性を見出したかった。故人の冥福を祈るとともに、執筆に携わる者として氏の功績を血肉にかえて生きていきたい。
■新井健一
経営人事コンサルタント、アジア・ひと・しくみ研究所代表取締役。1972年神奈川県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、大手重機械メーカー、アーサーアンダーセン(現KPMG)、同ビジネススクール責任者を経て独立。経営人事コンサルティングから次世代リーダー養成まで幅広くコンサルティング及びセミナーを展開。著書に『いらない課長、すごい課長』『いらない部下、かわいい部下』『働かない技術』『課長の哲学』等。
■書籍情報
『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』
デヴィッド・グレーバー 著
価格:¥4,070(税込み)
出版社 : 岩波書店