【漫画】コミティア発起人・中村公彦が漫画家にかけた“厳しい言葉”とは? 感謝を綴った追悼エッセイに涙

同人誌即売会「COMITIA(コミティア)」を長年にわたって率い、その礎を築いた中村公彦さんが、今年4月に逝去。先月のお別れ会には錚々たる顔ぶれが集まり、その存在の大きさを改めて感じた人も多いだろう。
そんな彼から受け取った、大いなる“問い”を描いたエッセイ漫画『中村さんにいただいたもの』がXに投稿されている。作者はSNSやコミティアなどで作品を発表するスガさん(@suga23_5cm)。彼女に本作の制作背景、そして中村さんという人物について聞いた。(小池直也)
続きを読むには画像をクリック

――まず、中村さんとの出会いから聞かせてください。
スガ:交流させていただいたのは、晩年の5年ほどでした。私の職場が荻窪にあり、中村さんも近くにお住まいだったので、仕事終わりに飲みながら創作の相談をさせてもらうこともありましたね。作家やスタッフを色々な場所へ連れて行っては、熱く語り合う。グルメで、みんなで食卓を囲むのが好きな方だったようです。
――本作を描いた経緯を教えてください。
スガ:中村さんの訃報を受けて残念な気持ちでいたとき、「新潟コミティア」のスペースに中村さんを知る方が来てくださったんです。その方に「新刊を読んでいただけず残念だった」とお話ししたら、「中村さんは作家に優しい言葉をかけられる人。それでもスガさんに厳しい言葉をかけたのは、作家性を信じていたからでは」と。
その言葉がありがたくて。それから、ちょうど中村さんをテーマにした作品を集める追悼企画「コミティアN」を知ったんです。自分が受け取ったものを、作品として残しおきたいと思って描きました。
――中村さんからの「厳しい言葉」について、改めて教えてもらえますか。
スガ:普段は柔和にお話しされる方なのですが、創作の相談をしたときだけは、改まった調子でした。これは真剣に聞かなきゃいけないやつだ、と。ただ私は郷土芸能を題材にした漫画『子鹿たちのダンス』の構想について、背中を押してもらえると期待していたところがあったんです。
でも投げかけられたのは「憧れだけではやれないよ」という言葉。センシティブなものに触れる作品を描く上で、その言葉を今も胸に置いています。
――その言葉を受けて、取材への向き合い方も変わったのでしょうか。
スガ:「中村さんに言われたから辞めました」とは言いたくなかったですね。むしろ中村さんを唸らせるものを描こうと。それまでは千葉の人間として岩手の土地や郷土芸能を扱うことに、なかなか踏み出せずにいたのですが、中途半端に向き合ってはダメだと思い、現地への車中泊の旅を重ねました。
――厳しさと柔らかさ、両面を持った方だったんですね。
スガ:中村さんが書かれたコラムをまとめた著書『コミティアの創り方』を読んだのですが、若い頃はもっと尖っていて「創作とは」と前のめりに語っているんです。それが「コミティア」という場の広がりとともに、同人即売会が社会の中でどう立ち回るか、これからの創作者をどう育てるかへと関心が移っていく。
その変化が本からも伝わってきました。言葉に慎重になりながら、創作の場を育てることをずっと続けてこられた方なんだと思います。
――作画で意識した点は?
スガ:とにかく読みやすくすることですね。もともとギャグ調の絵柄ではないんですが、硬派な創作論を扱う話だからこそ、絵柄くらいは丸いほうが柔らかく入ってくるかなと。中村さんのほんわかした雰囲気が伝わればいいなと思って描きました。
――個人制作ならではの難しさもありそうです。
スガ:取材から制作、発信まで、すべてひとりなので、純粋に作業量が多いですね。『子鹿たちのダンス』の場合は文化や芸能を扱う以上、私が代弁者になってはいけない。かといって、恐れすぎて漫画としての面白みを失うのも違う。そのバランスは大切にしています。
――最後に、今後の展望を聞かせてください。
スガ:取材と制作を行き来しながら、止めずに続けていくことですね。個人制作は、私が折れない限り続けられるもの。郷土芸能も、止めずに続いてきたからこそ今に残っている。その姿勢に、私自身も倣いたいなと。
中村さんには「雑誌や出版社の都合で発表の機会を失い、潰れていく作家を減らしたい。その仕組みを自分が作る」というポリシーがあったそうです。個人が描いて多くの人に届けられる。この時代を、中村さんも「いい時代が来た」と受け止めてくださっているといいな、と願っています。




















