オードリー若林正恭、なぜ直木賞を取れなかった? 文芸評論家・杉江松恋が読み解く、第175回芥川賞・直木賞

第175回芥川賞・直木賞の選考会が7月15日に行われ、芥川賞は小砂川チト『ゾンビ回収婦』(講談社)、直木賞は朝倉かすみ『けんぐゎい』(光文社)が受賞した。一方、直木賞候補として大きな注目を集めたオードリー・若林正恭の小説デビュー作『青天』(文藝春秋)は惜しくも受賞を逃した。今回の選考結果をどう見るべきなのか。文芸評論家の杉江松恋氏に話を聞いた。
今回の受賞結果について杉江氏は、「受賞作はどちらも自分がもっとも好きだった作品」としながらも、特に直木賞に関しては「蝉谷めぐ実『見えるか保己一』(KADOKAWA)が大本命」とした予想が外れたことに驚きを隠さなかったという。
まず芥川賞を受賞した小砂川チト『ゾンビ回収婦』については、「作家がこれまで積み重ねてきた手法が完成した作品」と高く評価する。
「小砂川さんは、過去に芥川賞候補となった『家庭用安心坑夫』(2022年/講談社)と『猿の戴冠式』(2024年/同)でも、人間ではない存在を通して現実世界を相対化し、人間社会を客観視するような作品を書いてきました。ただ、それらの作品は読者から見ると『語り手の主観ではないか』と解釈できる余地も残されていたんです。
一方、『ゾンビ回収婦』では、AIやVRというもう一つの世界を導入したことで、その構造がより明確になりました。主人公は身体を現実に置いたまま、精神だけがVR世界へ入り込んでいく。その構図を作ったことで、これまで試みてきた『現実を対象化する』という手法が一気に機能するようになった。過去作で積み上げてきたものが、今回ようやく完成形になったという印象でした」
3度目の候補入りでの受賞となった小砂川作品は、まさに作家性が成熟したタイミングでの受賞だったと分析する。
一方、直木賞を受賞した朝倉かすみ『けんぐゎい』について杉江氏が最も評価したのは、「語り」の独自性だった。『けんぐゎい』は、虐げられて育った少女が成長し、今度は誰かを救う側へと回っていく姿を描いた時代小説。一見すると王道の物語だが、その魅力はストーリーだけではないという。
「物語自体はとてもストレートで、『いい話』なんです。ただ、時代設定をあえてずらすような世界観の作り方や、細かな言葉遣いが独特なんですよね」
さらに決め手になったのが、朝倉作品ならではのモノローグだった。
「朝倉さんはデビュー作『肝、焼ける』(講談社)の頃から、主人公の語りのリズムに独特の魅力がある作家です。ただ、これまで直木賞候補になった作品では、その特徴が少し抑えられていました。今回はその語りが全面に出ていて、“他にはない声”を持った作品になっていた。芥川賞ならともかく、直木賞ではあまり見ないタイプの語りだったので、選考委員にも強く響いたのではないでしょうか」
また、一般的な注目度という意味では今回、初小説『青天』で初の直木賞候補入りを果たした若林正恭の動向にも大きな関心が集まった。高校アメリカンフットボール部を舞台に、挫折や成長を描いた青春小説で、若林自身の経験も色濃く反映された作品だ。
杉江氏は作品そのものを高く評価しながらも、「候補作全体の中では加点しづらかった」と分析する。
「『青天』は本当にいい青春小説です。ただ、今回はほかの候補作がかなり挑戦的でした。例えば、蝉谷めぐ実『見えるか保己一』は、盲目の国学者・塙保己一を現代的な身体論の視点から読み替える意欲作。凪良ゆう『多類婚姻譚』は短編集という形式を生かしながら、多角的にテーマを描き出した作品だった。原田ひ香『#台所のあるところ』も、さらっと書いているように見えて、SNS時代の人々のつながりや意識を巧みに取り込んだ新しい試みでした。そういう作品と比べると、『青天』は完成度こそ高いものの、新しい試みという点では、ほかの候補作に一歩譲った印象でした」
もっとも、今回の落選は決して悲観すべきものではないと杉江氏は続ける。
「どんな作家でも、一作だけなら書けることはあります。でも本当に評価されるのは、その次があるかどうか。又吉直樹さんも芥川賞を受賞した『火花』のあとに作品を書き続けています。若林さんも今回候補になったのは少し早かったという印象はありますが、次回作、あるいはその次で新しい挑戦を見せれば、十分に評価される可能性はあると思います」
受賞作に共通していたのは、作家自身がこれまで積み重ねてきた表現をさらに更新したこと。一方、『青天』には王道の青春小説としての魅力があったからこそ、より大胆な挑戦が求められたのかもしれない。
























