台湾のデジタル担当大臣、オードリー・タンはなぜ“天才”と称される? デジタル民主主義を先導する手腕
弱冠35歳で台湾行政院(内閣)にIT担当相として入閣し、「天才」と呼び慣らわされるオードリー・タン(唐鳳)。その一方で、「アイドルよりも人の心を掴む」と評され、プログラマー、ギーク(コンピュータ、インターネットに精通する人)としても世界的に名を馳せる。
日本でタンの名前が一般的にも知られるようになったのは、東京都の新型コロナウイルス感染症対策サイトを構築するコミュニティに「降臨」したことがニュースとなり、同時期にタンと同じIT担当大臣を日本で担う竹本直一が78歳と高齢で、その「落差が凄い」とSNSに投稿されたことからだ。タンは、竹本が自分との比較で揶揄されたのを知っており、年齢だけで単純に比較するのは「フェアではない」と応じている。ただ、タンの驚くべき来歴は、誰と比べても「フェア」ではない。
1981年に生まれたタンは、小学校在学中に独学でプログラミングを学び、14歳で中学を退きドイツに留学。16歳で企業経営に参画して19歳で自ら起業、23歳の頃には英オックスフォード大からの給付金を受けつつ、Apple社の顧問としてSIRIなど高度AIの開発に携わった。
18歳の時、ウェブプログラミングでよく利用されるPerlというプログラム言語をコンピュータで実行するための一括処理プログラムを独学で作成し、これにより天才プログラマーと評される。英語、ドイツ語、フランス語にも堪能で、まさに天才と呼ばれるのに相応しい。
33歳でビジネスの第一線から身を引き、2016年に35歳で台湾の行政院でデジタル担当相(政務委員)に就任。当時、政府への批判や反対がネット上で渦巻いていたことを逆手に取り、それらをすべて創造的なエネルギーに転換しようと、国民をダイレクトに政府の議論に巻き込む手立てを講じてきた。
たとえば、コロナ禍にあってタンも中心人物として関わってきた民間の技術者コミュニティ「g0v」(零時政府)と政府との協業を橋渡しし、リアルタイム(30秒毎)で在庫が更新され、そのまま注文も可能なオンラインのマスク購入システム、フェイクニュースのチェックシステムなど、実用性と利便性の高いものを短期間で実装したのは、その成果である。
こうした取り組みにおいて、タンは「チャネル=情報の流通経路」であり「パイプ役」に過ぎないと自認する。自分からはアイデアも出さず、提案すらしないというから徹底している。その理由は、政府と「ともに」仕事をしているのであって、政府の「ために」仕事をしているのではないというタンの矜恃による。これまでの政治が、「一部の人の声は届くが、残りの人々の声は聞こえ」ず、「人々が路上に出て(反対運動を起こして)初めて彼らが反対していたこと知る」ようなクローズドなものであったと喝破していたからだ。だからこそ、タンは徹底的にあまねく情報を流通させることを役割と考えていのである。