浜崎あゆみ、なぜ少年少女たちの共感を得た? 『M 愛すべき人がいて』が映し出す、ミレニアムの心象風景

浜崎あゆみ、なぜ少年少女たちの共感を得た? 『M 愛すべき人がいて』が映し出す、ミレニアムの心象風景

 『M 愛すべき人がいて』は、ノンフィクションライターの小松成美が、浜崎あゆみとエイベックス会長・松浦勝人へのインタビューを経て著された“事実に基づくフィクション“小説だ。

 発売当初から大きな注目を集めたのは言わずもがな、安斉かれん&三浦翔平のダブル主演でテレビドラマ化。鈴木おさむによるコッテリとした脚色で、田中みな実や高嶋政伸など癖の強いキャラクターも相まって、2020年を代表する話題作となった。ドラマの人気を受けて、改めて原作小説を、そして浜崎あゆみの名曲たちを手にとってみようと思う人も少なくないだろう。

 なぜ、浜崎あゆみは今、過去の恋愛を自叙伝的小説として発表したのか。著者の小松は『ノンストップ!』の取材で、「平成から新しい時代に入るにあたり、これからも歌い続けていくと、ステージに立ち続けていくということの覚悟の表明を何かの形でしたい」「過去の思い出をいま知っていただくことで、そうした決意を伝えることができたら」と、インタビューに応じた浜崎と松浦が語っていたと明かしている。

 浜崎あゆみこと“あゆ“と、松浦勝人こと“マサ“の、世間には知られてはいけない恋。この作品で語られているエピソードのどこまでが本当で、どこからが創作なのかはわからない。けれども、あの1990年代後半から2000年代にかけて漂っていた時代の空気感は実にリアルだ。

 テロ、阪神淡路大震災、凶悪少年犯罪……これまで当たり前に続くと思っていた平和な社会は一瞬にして壊れることがあることを知った1990年代後半。インターネットや携帯電話が普及していく中で、世界は一気に繋がっていく。だが一方で、これまでとは違うつながり方を模索していた時期でもあった。人間はちっとも進化していないのに、技術ばかりが進んでいく。ミレニアムという時代の節目に、どこか自分だけ置いていかれるような焦燥感を、誰もがどこかで抱いているような感覚があった。

 2020年の現在ほど“ここではないどこか“に逃げることもできなかった、あのころ。浜崎あゆみは、切ない歌詞で共感を呼ぶ歌姫として爆発的な人気を得ていく。満たされていないことから生まれる言葉たちが、漠然とした心のもやに包まれていた少年少女たちの心を掴んだのだ。痛みを分かち合うことでつながるというロマンが、浜崎あゆみの楽曲にはあった。その根底に、あゆ自身の「身を滅ぼすほどの恋」があったのだと語られたら、納得せざるを得ない。

 「そして2人は幸せになりました」なんてエンディングは絶対にない、公にはできない恋。まだ少女とも呼べる若き日の“あゆ“は、毎日小さな絶望と向き合っていた。その小さな絶望は、種類は異なれど、その時代を生きるすべての人に共通するものだったのかもしれない。「誰も」が足早に通り過ぎていき、「僕ら」はいつだって孤独に今を生きている。それでも「何か」を見つけたいと願いながら。

 浜崎あゆみが時代を牽引したギャルメイクも、弱い自分を奮起させる武装に近い。ピアス、タトゥー、ブリーチヘア……そうしたファッションが広く流行したのも、自ら痛みを求めることで、ここで生きていくという絶望に共に立ち向かう「誰か」を感じたかったのではないだろうか。

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