浜崎あゆみ、なぜ少年少女たちの共感を得た? 『M 愛すべき人がいて』が映し出す、ミレニアムの心象風景

『M 愛すべき人がいて』が映し出す景色

 絶望の前にあらがい続けた「僕ら」と、共に走った浜崎あゆみ。あれから20年、世の中はあらがうよりも、どこか諦めることのほうがうまくなったような気がする。“違う世界線を選べたらよかった“と歌う曲がヒットするのも、あのころより視野が広くなったからかもしれない。

 実際に、選択肢は広がった。リアルとは別の世界を独自に築くことだって難しくなくなっている。SNSで思い描いた人格になりきることだって、バーチャルな世界で理想的な容姿に生まれ変わることだって可能だ。あのころ感じていた「ここで生きるしかない」という狭い世界の絶望からは、少しだけ解放されたのかもしれない。痛みを共有してあらがっていた時代から、痛むのならそれぞれが逃げてもいいという時代に……。もちろん、それでも私たちの人生は思い通りになんてならないのだけれど。

 だから、大人たちはあの時代をときどき思い出して甘酸っぱい気持ちになるのかもしれない。あの時代を生きた人なら、きっとブログ、ケータイ小説、mixi、Twitter……と、過去のあなたの記憶がネット上にタトゥーのごとく残っているはずだ。どうだろうか。浜崎あゆみがこれからの自分を奮い立たせるために『M 愛すべき人がいて』で記憶を紐解いたように、あなたも今あのころの痛みを反芻して「ヒーヒー」言ってみるというのは。もしかしたら、この2020年の巨大な絶望を前に思わぬ劇薬になるかもしれない。

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