直木賞作家・川越宗一が“三角関係”を描く理由とは? デビュー作から読み解く、その作家性

“意志”を描きだす川越宗一の確かな筆致

 デビュー作には、その作家のすべてがある。作家や作品を語る上で、よく使われるフレーズだ。これは本当のことである。意識的か無意識かは分からぬが、デビュー作には作家の本質が込められていることが多い。2018年、第25回松本清張賞を受賞した、川越宗一の『天地に燦たり』を見ると、そのことがよく分かる。

 と書いてしまったが、最初に『天地に燦たり』を読んだときは、作者の本質を見抜くことができなかった。理解できたのは、第161回直木賞を受賞した第二長篇『熱源』の内容によってである。そのことを説明するために、まずは『天地に燦たり』について述べておきたい。

 猛将でありながら、戦に倦んでいる島津家重臣の大野(後に樺山)七郎久高。朝鮮で差別される白丁という身分でありながら、儒学を学ぶ明鍾。琉球国の官人で、密偵の任務に携わっている真市。本来なら、それぞれの国で無縁に生きるはずの3人。しかし時代の大きなうねりが、彼らを結びつける。豊臣秀吉の朝鮮出兵と、島津の琉球攻めという、ふたつの戦を扱いながら、日本・朝鮮・琉球の3人の男を絡ませたストーリーが斬新であった。

 また、戦乱の世を人はいかに生きるべきかというテーマを“礼”によって描き切っている点も、大きな読みどころになっている。どのような時代でも、人が人らしく生きるには、どうすればいいのか。これを可能にするのが儒学でいうところの“礼”だとしているのだ。久高の苦悩、明鍾の慟哭、真市の言動を通じて、作者は志の高いテーマを鮮やかに表現してのけたのである。

 ただし疑問もあった。久高と明鍾がじっくりと書き込まれているのに対して、真市の扱いが、やや軽い気がしたのである。この作品のテーマなら、久高と明鍾の対立構造で描くこともできたはずだ。それをなぜ、わざわざ三角関係にしたのか。物語を思い出すたびに、この点が引っ掛かったのである。だが、『熱源』を読んで、なぜ『天地に燦たり』に3人の男が必要なのか納得できた。

 『熱源』は、明治の樺太(サハリン)が主な舞台である。アイヌのヤヨマネクフ(山辺安之助)とシシラカト(花守信吉)、和人の父とアイヌの母の間に生れた千徳太郎治。北海道で学校に通っていた3人だが、やがて別々の道を歩む。五弦琴の名手であるキサライスと結婚し、子供をもうけたヤヨマネフク。だが妻が病死して6年後、今はロシアが支配している故郷の樺太に戻った。やがてシシラカトや太郎治と再会したり、ポーランド人のブロニスワフ・ピウスツキと知り合いながら、時代の中を生きていく。

 一方、ロシア皇帝の暗殺を謀った罪でサハリンに流刑になったピウスツキは、辛い日々の中で、現地のギリヤーク人と親しくなる。ギリヤーク人に関する民俗調査が認められ、発表の機会を得たピウスツキ。だが、ギリヤーク人を自分たちより劣った人種と思い込んでいる、人々の姿に落胆する。その後、サハリンでアイヌの妻を得るが、日露戦争後のロシアの動向に連動するように盛り上がった、ポーランド独立運動に深くかかわっていくのだった。

 物語の時間軸は長く、登場人物も多いが、ヤヨマネクフとピウスツキが主人公といっていいだろう。実在したふたりを通じて、巨大な国家によって蹂躙される民族の悲しみが掘り下げられている。和人(日本)によって差別されるだけでなく、新たな文明によりアイヌの従来の文化も失われていく。そんな激動の時代について考えながら、流れるように生きる、ヤヨマネフクの姿が印象的だ。

 そしてピウスキツだが、ロシアという大国によってポーランドを失った故郷喪失者である。また、ロシアにより差別と搾取をされているギリヤーク人の現実を見て、なんとかしようとする。さらにアイヌの女性と結婚するなど、民族の問題を多角的に伝える存在となっているのだ。

 ヤヨマネフクとピウスキツ。どちらかひとりだけを主人公にしても、興趣に富んだ物語になっただろう。しかし作者は、ふたりを共演させた。なぜか。世界を描くためである。

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