村上龍『MISSING』はなぜ私小説的な表現になった? メルマガ連載で著された“D2C文学”の可能性

村上龍『MISSING』D2C文学の可能性

幻想小説風の内省的な私小説?

 さて、肝心の小説の内容はどんなものか。

 『MISSING』は、村上龍自身を思わせる男性小説家が、飼い猫に語りかけられたり(というか「意識を反射している」らしい)、真理子という女性が自分の記憶とは異なる振る舞いをし、心療内科医に「あの真理子は実在しているのか?」と相談すると「過剰な想像が現実を覆うことがある」と言われる、という不可思議な導入に始まる。

 中盤以降は主人公と母親との記憶、幼少期を日本が植民地支配していたころの朝鮮で過ごし、敗戦後に引き上げ佐世保で生活していた母親自身の記憶が入り交じるかたちで展開していく。

 幻想小説を書きたかったのか? とはじめのうちは思うのだが、だんだんと村上龍が自分の人生やルーツを回顧していく内省的な私小説といった様相を呈していく。作家デビュー作『限りなく透明に近いブルー』執筆前後の試行錯誤と、同作の書き出しが書けた瞬間に作家としての人生が始まっていくあたりの描写もある。それらはエッセイなどで村上龍が語っていたことと重なる部分もあるが、ずっと深い読後感を与えるものになっていた。

D2C文学としての『MISSING』

 このような作家個人の記憶に踏み込むような内容になったのは、メールマガジンに連載したからこそだろう。やはり村上龍電子本製作所のFacebookページ上で、自分のメルマガに小説を書くのは、文芸誌に書くこととはまったく異なる緊張感がある、といったようなことを連載中に記していた。紙の雑誌や単行本を通して作品を届けることよりも、ずっとダイレクトに読者に届く、という感覚がメールマガジンにはある。

 冒頭では「メルマガというオワコンメディアで2010年代にもなって連載して生まれた稀有な小説だ」といったような書き方をしたが、実はむしろ一周して時代のトレンドに合致している、と私は考える。

 近年、少なくないD2Cブランドが"Newsletter"という呼び方で、顧客にメールマガジンを届け、その世界観を表現しているからだ。D2C、ダイレクトtoカスタマーとは、企業が顧客に対して直販するビジネスモデルのことだが、これは消して「卸・小売の中抜きをすることによって安価でそこそこのプロダクトを売る」というだけの商売の方法論ではない。

 佐々木康裕の著書『D2C 「世界観」と「テクノロジー」で勝つブランド戦略』によれば、D2C企業は、顧客のよりパーソナルな部分に働きかけ、自分たちがめざすライフスタイル/世界観を表現するために、紙の雑誌を作ったり、あるいはポッドキャストで語りかけたり、Newsletterで想いを伝えたりする。

 モノでもコトでもないヒト軸での消費へのシフトが進むなかで、D2Cブランドは、よりダイレクトで、より個人に響くメディアを駆使して、人格をもった存在として顧客の心に訴えかける。「情報」ではなく「情感」でつながろうとする。

 同じ人間が似たような内容を話すとしても、自分のポッドキャストでリスナーに語るときと、マスメディアの取材に答えるときとでは、少なからぬ部分で差異が生じる。受け手にとって、より身近で、より人間味を感じられるのは、明らかに前者だ。

 小説も同じだ。紙の雑誌で書くときと、ウェブ小説プラットフォームで書くとき、自分のメールマガジンで書くときとでは、スタンスも内容もおのずと変わってくる。

 メールマガジン版、および電子書籍版の『MISSING』は、よそ行きの顔をしていない。村上龍のことを追いかけている人間に向けて、彼独自の「世界観」を、一般流通する汎用品としての紙の本ではなしえない表現手段を使って著した、D2C文学なのだ。

 正確にいえば電子書籍版は電子書店を通じて流通させているからD2Cではないが、マインドやプロダクトとしてのありようは、昨今のD2Cブランドに通じるものがある。

 この作品が文学史に残る大傑作かと言われれば、おそらくそうではないだろう。しかし、メルマガ版/電書版では収録された写真やデザインの微妙なつたなさもあいまって、村上龍という人間のことが(言葉を選ばずいえば)かわいく思えてくる。本作には村上龍の「素」がぽろっと出てきたような無防備すぎる言い回しがたびたび登場し、思わず笑ってしまうことが何度かあった。そうした距離感の近さを抱かせる作風は、このキャリアの長い作家にとって新境地だろう。

 『MISSING』は、「この時代に、メールマガジンに向いた表現とは何か?」ということを作家の直感で射貫いたことによって、ほとんどの書き手が見向きもしない状態にあるメルマガ連載小説の、表現としての可能性を浮かび上がらせた重要な作品である。

■飯田一史
取材・調査・執筆業。出版社にてカルチャー誌、小説の編集者を経て独立。コンテンツビジネスや出版産業、ネット文化、最近は児童書市場や読書推進施策に関心がある。著作に『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの? マンガアプリ以降のマンガビジネス大転換時代』『ウェブ小説の衝撃』など。出版業界紙「新文化」にて「子どもの本が売れる理由 知られざるFACT」(https://www.shinbunka.co.jp/rensai/kodomonohonlog.htm)、小説誌「小説すばる」にウェブ小説時評「書を捨てよ、ウェブへ出よう」連載中。グロービスMBA。

■作品情報
『MISSING 失われているもの』
価格:1,650円(税込)
発売日:3月18日
出版社:新潮社
村上龍電子本製作所:http://ryumurakami.com/
『MISSING 失われているもの』特設サイト:https://www.shinchosha.co.jp/missing/

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