又吉直樹『人間』が描く、夢を諦めた先の物語 世界をきちんと見つめようとする男たちの生きづらさ
まぶたは薄い皮膚でしかないはずなのに、風景が透けて見えたことはまだない。もう少しで見えそうだと思ったりもするけれど、眼を閉じた状態で見えているのは、まぶたの裏側の皮膚にすぎない。あきらめて、まぶたをあげると、あたりまえのことだけれど風景が見える。(又吉直樹『劇場』p.5)
小説の冒頭で「まぶたをあげる」描写が必要だったのは、「語り手である永田がこれまで見ないように蓋をしていた体験を、自分の目で見つめ、語りはじめようとしていると感じたから」だと又吉は『劇場』文庫版の解説で言及している。『人間』は、何者かになろうとあがいたかつての若者たち、『火花』の一節「生きている限りバッドエンドはない」のその先の長い時間を生きる男たちの物語であると同時に、世界をちゃんと見つめずにはいられない男たちの物語でもある。
だから又吉は、「まぶたをあげて」始まった『劇場』から『火花』を経て『劇場』に戻り、初の長編小説である『人間』の世界において、芸術、文学から芸人論に至るまでの表現について、恋愛や友情、さらには人間の心の奥底に渦巻く嫉妬や本能についてどこまでも突き詰めて見つめ、遂にはその眼の奥の網膜にまで達してしまった。
世界をきちんと見つめようとする人、見えすぎてしまう人は、「人間をやるのが下手」な人だ。そしてそんな人たちは、何かを表現せずにはいられない。彼はきっと、書かずにはいられなかった。
つまりこれは、又吉直樹版『人間失格』である。スノードームを回転した時に生じる渦巻きがこの世の終わりのようだと言って、自分で回しておきながら、後悔しながらそれを十年以上眺め続ける厄介でケッタイな男たち。生きづらいだろうなあと笑いながら、自分自身のことを顧みずにはいられなかった。
■藤原奈緒
1992年生まれ。大分県在住の書店員。「映画芸術」などに寄稿。
■書籍情報
『人間』
又吉直樹 著
価格:本体1,400円+税
発売/発行:毎日新聞出版