『ウルトラマン』監督が語る、少年時代の戦争体験 「ある瞬間に突然ポーンと命を取られてしまう」

『ウルトラマン』監督が語る戦争体験

東京大空襲は北風じゃなかった

――当時に体験して、感じた生の感情、喜怒哀楽が至るところに散りばめられているから、戦争の悲惨さ、残酷さ、不条理さというのはもちろん伝わるのですが、それ以上にある種心のこもった暖かさみたいなものが作品全体の空気感として伝わってくるのだなと、お話を伺っていて思いました。

飯島:今回の作品は、”記録”ではなく”記憶”で書いたものだからだと思います。書いているうちに幼い頃の記憶が新鮮に蘇ってきましたよね。昨日食べたものはすぐ忘れるのに(笑)。線路に釘を並べて電車に轢かせて刀を作って遊ぶとか、そんなの記録には残らないし、いま考えても思いつかないと思いますよ。あとは東京大空襲のときの話ね。どんな本をみてもあの日は北風が凄かったと書いてあると思いますが、僕の記憶では違います。

 僕の家の周辺は北風じゃなかった。空襲であちこち燃えていたので上空で空気が旋回していて、場所によって風の吹く方向は違っていました。記録で書くと北風ひとつで終わってしまうけど、だとしたらあの日江東区から焼けた火が本郷まで燃え上がってくるわけがないんですよ。

――確かに、それは経験していないとわかり得ない情報です。

飯島:またそのときに役立ったのが、チャンバラごっこをしていたときに忍者がやる、指を唾で濡らして立てて、冷たい方から風が来ているってやつ。それで風下に逃げたらダメだということで、後楽園の方に逃げたんです。そこで逆側に逃げた街の人たちはみんな焼かれて……。だから、本当に紙一重でしたよね。あとは“人差し指を飛行機に向けてそこから機体が出たら、自分を狙っていない“というやつ、あれは本当に役立った。あれは今でも通用する。こういうのは経験だから、記録だけだと絶対に書けないことですね。

――そんな状況下であるときは疎開先で文字通り寝食をともにし、あるときは離れ離れになり、幼少期の数年間、共通の特殊な経験、人生をともに過ごしてきた友人たちとの絆というのは、我々が想像する以上に深く強固なものなのでしょうね。

飯島:明け暮れも一緒、それでひもじさも一緒。その中で必死に生き延びる術を考えて、アバンチポポロ(イタリアの革命歌)歌って……。そういう当時のことは本当にすごく鮮明に覚えているものです。でも特に新鮮なのは大空襲でみんな散り散りになったそのあと自分たちが高校生になる頃にみんな戻ってきたんですよ。そこで昭和24年に疎開した連中と東京に残った連中で同窓会をやるのですが、なぜか男女が分かれていたのは排除したまま集まって。そうするとこの間までガキだったのに、女の子は光り輝いているし。だからみんな「あいつあんな美人になっちゃった!」と言って、終わってからその子を追跡したりしてね(笑)。

――同窓会あるあるですね(笑)。

飯島:そこからまたリスタートしているんです、僕たちは。だから本当に特殊な世代だと思います。その集まりは今でも毎年続いています。11月1日に上野広小路のお店で集まるのですが、最近は10何人まで減ってきて。いつまで続けられるのかというのはありますけど、でも今でもみんなで集まるとあの時代に飛びますよね。

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