リズムから考えるJ-POP史 第5回:中田ヤスタカによる、“生活”に寄り添う現代版「家具の音楽」

 いまやPerfume、きゃりーぱみゅぱみゅをはじめとしたアーティストのプロデュースを手がけ、DJとしてもさまざまなイベントに引っ張りだこのプロデューサー、中田ヤスタカ。エッジーなダンスサウンドをためらうことなくマーケットに投入し、なおかつ成果を上げ、2010年代のJ-POPを牽引した重要人物の一人だ。彼の活動においては、ボーカルを務めるこしじまとしことのユニット・capsule(2013年秋より大文字のCAPSULEに表記を変更しているが、本稿で扱う作品の年代の都合上、小文字での表記に統一しておく)が中心的な位置を占めている。

capsule『S.F. sound furniture』

 初期、具体的にいえば2ndアルバムの『CUTIE CINEMA REPLAY』から6作目の『L.D.K. Lounge Designers Killer』でエレクトロハウス色を強めるまでのcapsuleの楽曲には、インテリアやファッションが登場する。4作目に至っては、その名も『S.F. sound furniture』だ。そして、家具と音楽といえばエリック・サティの「家具の音楽」だろう。とすれば、capsuleの音楽を「家具の音楽」と呼んでみるのも面白いのではないだろうか。

 これは単なる思いつきや洒落ではなく、後にブライアン・イーノによって“アンビエント”として改めてコンセプトを練り直される「家具の音楽」に通じる要素を、一時期のcapsuleの音楽は持っていたのではないかという仮説だ。

 とはいえサティ=イーノ的な“家具”とcapsuleの“家具”はもちろん同一ではない。その内実については追って検討するが、まず重要なのは、音楽を“家具”になぞらえて捉えることで、音楽は生活を変容させるさまざまな変数のひとつになるということだ。ポップミュージックをそのように位置づけるならば、ポップミュージックの形を変えていくことは生活を変えていくことにパラフレーズできる。

音楽至上主義へのアンチテーゼ

 capsule流の「家具の音楽」を一段階かみくだけば、音楽好きのための音楽ではなく、生活の中に位置づけられる音楽である、ということができる。中田ヤスタカはキャリアの初期から自分の音楽を家具のほかにも雑貨や服になぞらえてきた。かつそれは、音楽好きが形作る音楽観へのアンチテーゼとして、やや強烈な主張にも見える。

「[…]つまり生活雑貨ですよね、僕にとって音楽は。こういう価値観がオーソドックスになったらいいなって思います。音楽が偉過ぎたんだと思うんですよ、今までが。もちろん、すごい影響力のある人が音楽で良いメッセージを伝えるのであれば素晴らしいとは思うんですけど。単純に音楽自体を楽しむことを考えれば、自分の生活に合う音楽がいいと思うんですよね。」
(『MARQUEE』2003年6月号、p.4)

 同時代のcapsule評には、渋谷系をはじめとした“過剰なまでに知っていること”を前提とする音楽観への反動のように、“知らない”ことによる“素朴さ”“無邪気さ”に焦点があてるものが数多い。しかし、中田ヤスタカの発言はそうした“素朴さ”よりもむしろ、音楽を中心とした音楽観に対する問題提起のように思える。生活の形を作り出す“家具”のような音楽、生活雑貨のような音楽、という中田のアイデアはその延長線上にある。しかしここで言う“家具”は、物言わず環境に溶け込んでしまう、生活という“図”に対する“地”ではけっしてない。むしろ、生活を自分が望むようなあり方に変えていくために選ばれ、使用される(=聴かれる)ものである。

「サンプリング」からDAW以降のエディット/カットアップへ

 では、それは彼の音楽に具体的にどういう形で現れているのだろうか。中田ヤスタカの音楽を現代版「家具の音楽」として、生活を作り出す要素のひとつに見立てる姿勢を、彼のエレクトロニックなポップミュージックとつきあわせたらどのようなことがわかるだろうか。

 重要なのは、1990年代におけるサンプリング、ないしDJ的な感覚から、DAW上でのエディットやカットアップへの転換であると考える。サンプリングはサウンドを元の文脈から切り離すという側面と、新たな意味を紡ぎ出す側面をあわせ持っている。この二重性こそ多くのミュージシャンを惹きつけ、技法の普及を後押した。しかし、オリジナルの著作者との権利関係のクリアランスがアメリカの音楽産業を中心に問題化されると共に、現実的にはサンプリングは音楽活動の障壁を生み出す諸刃の剣ともなった。

 こうした事情から、2000年代に入る頃には、サンプリングを得意としていたミュージシャンが方向性を変える例が相次いだ。その最たる例がCorneliusだろう。既存のサンプルを組み替え、サウンドとしても意味としても過剰さに溢れていた1997年の『FANTASMA』から、自身の演奏を含めた音源をPro ToolsなどのDAW上でエディットする2001年の『POINT』へと変化した。

 サンプリングからエディットへ。絶え間ない意味の解体と生産というサイクルから、カット、コピー、ペースト、エフェクトによる加工といった諸々の操作の産む効果への注目へと着眼点が移っていったのが、2000年代初頭。capsuleがデビューしたのはまさにこの時期だった。

 もともと中田ヤスタカはリスナー的、DJ的な感性とは遠いタイプのミュージシャンだった。そのかわりに彼が関心を抱いたのは音楽を“掘る”ことよりも、“つくる”ことだった。いきおいその音楽は意味への関心は希薄で、サウンドの選択やエディットが生む快楽により重心をおいたものとなる。かつそれは、音楽を中心とした知の体系から距離を置き、“生活”に寄り添おうとする中田の姿勢から見ても必然性があった。

 その状況を端的に著しているのはサウンドの加工の単位の微細化である。これはそのまま、リズム構造へも影響を与える。生々しいドラムによるフィルインのかわりに、16分、32分、64分……に至るサンプルの反復や、あるいは2分の1拍、4分の1拍挿入される唐突な無音が、楽曲の節目節目で新たな展開を知らせるのだ。

 たとえば、2ndアルバム『CUTIE CINEMA REPLAY』の3曲目、「キャンディーキューティー(feat. Sonic Coaster Pop)」の34秒ごろ、イントロとAメロの間に挿入される無音は、バンドサウンドや生楽器ではありえない休止の感覚を唐突に挿入して、感情の起伏を盛り上げる。続くアルバム『phony phonic』の9曲目「idol fancy」の頭サビの末、9秒ごろでタイムストレッチ(もしくはスタッター)がかけられるこしじまとしこのボーカルや、その直後の無音は、サウンドが加工されている様子をあからさまに強調する。そもそも、メインボーカリストの声をこのように大胆に変調させるということ自体、小西康陽がピチカート・ファイヴではあまりやらない手法だ。エレクトロハウス色がいっそう色濃くなる『S.F. sound furniture』でも、4曲目「宇宙エレベーター」のサビ、1分42秒ごろからボーカルにかぶさるスタッターや、2つ目のヴァースに入る直前、2分2秒のあたりに入るエディットと無音が印象的だ。

 連続する音の流れ(スネアドラムを連打するフィルや、クレッシェンドやデクレッシェンドのような音量操作)によって楽曲全体の“グルーヴ”やリズム構成の変化を準備するのではなく、逆に断絶によって新たな“グルーヴ”に対する姿勢を準備する。capsuleで中田ヤスタカが当然のように用いているこうした手法は、渋谷系~ポスト渋谷系との断絶を如実に示している。

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