リズムから考えるJ-POP史 第2回:小室哲哉がリスナーに施した、BPM感覚と16ビートの“教育”

『TETSUYA KOMURO ARCHIVES “T”』

 90年代を、いや80年代以降の日本のポップスを代表するミュージシャンでありプロデューサーの小室哲哉。彼の功績を、手がけた作品の売り上げや後続の世代に与えた影響から推し量ることはたやすい。しかし、むしろここで問いたいのは、彼の成功がJ-POPやそのリスナーにどのような影響を与えたかという点だ。坂本龍一は、小室がホストを務めるトーク番組に出演した際、しばしば引き合いにだされる次のような発言を小室に向かって投げかけている。

坂本 [前略]TMN時代からヒット曲を作ってきて、ある種日本人の耳を教育しちゃったとこがあるよね。まあ、僕なんてちょっと困るとこもあるんだけど、あまり教育されちゃうと。あの小室流のメロディー・ラインとか、転調とかアレンジも含めて、そのビート感も含めて、先生として教育しちゃったからね。ある層をね。だからそれに引っ掛かるようなパターンを出すと、必ず売れるっていう現象が今起こってると思うわけ。この十年くらいかけてそういう教育活動やってきたんじゃないの?
(小室哲哉『With t 小室哲哉音楽対論 Vol.1』幻冬舎、1995年、pp.172-173)

 この収録が行われたのは1995年5月のことで、まさに小室哲哉の黄金期である(そもそも自身の冠番組を地上波で持っているということ自体、当時の彼の勢いがなせる業だ)。「日本人の耳を教育し」たのではないか、という問いかけに小室は困惑気味に言葉を濁すが、少なくとも90年代の彼がダンスミュージックの啓蒙活動を意識的に行ってきたことは明らかだろう。Bro.KORNとの対談では、そうした意識を垣間見せるところがある。

小室 [前略]まあ、trfもテクノから始まって、いきなりあそこ〔引用者注:「Overnight Sensation ~時代はあなたに委ねてる~」〕にいけないじゃないですか?
KORN そうですね。
小室 だから、二年間我慢してというか、二年間かけて移行したって感じですけどね。
KORN で、B.P.M.があそこでトンッと落ちてるっていうのがね……。日本でも世界でも、いわゆるメジャーという部分の仕掛けですかね。いわゆるコアではないところをちょっと突いたな、と。そのへんが微妙にわかっちゃったんで、素晴らしいなって感じで。あのB.P.M.は昔ディスコで遊んでた人間たちを、今に蘇らせてくれるんじゃないかな? テンポって大事じゃないですか。
(小室哲哉『With t 小室哲哉音楽対論 Vol.3』幻冬舎、1996年、p.93-94)

KORN 日本人はまだB.P.M.が速い曲で盛り上がりたいっていうか……土壌なのかもしれないんだけど。
小室 そうですね。日本の環境というのは結局はお酒で盛り上がるっていうか。若い人も。
KORN うん。そうそう。
小室 それが当たり前かつ基本だから。
KORN そういう感じ。でも、小室さんはそれをどんどん遅くしていく状況を作りながらも、日本人がついてきてるのがすごいよね。[後略]
(同上、p.96)

 メインストリームにおけるダンスミュージックの伝道師としての小室哲哉と、彼がリスナーに施した“教育”の実質。まずは、Bro.KORNの指摘を踏まえて、trf(現TRF)を始めとした小室の楽曲群のBPMについて考察をしてみよう。

 グラフ1はtrfが90年代にリリースしたシングル収録曲のうち、小室哲哉がプロデュースした20曲のリード曲に限定したうえで、リリース日を示す時系列をx軸に、BPMをy軸にとった分布図である。この図を見る限り、BPMは当初は140に達することもあった(1993年リリースの「EZ DO DANCE」)が徐々に下降し、小室によるプロデュースの末期である1996年には110~130のあいだに落ち着いていることがわかる。Bro.KORNがBPMの低下を指摘している「Overnight Sensation ~時代はあなたに委ねてる~」はBPMが120とディスコ~ハウスミュージックの定番に落ち着いている。BPMが130から140のアップテンポなダンスナンバーを次々とヒットさせたうえで、メンバーたちの好むオーセンティックなディスコのフィーリングへと着地させること。この試みは功を奏し、結果として「Overnight Sensation ~時代はあなたに委ねてる~」はtrfにとって5作品連続となるミリオンを達成した記念すべき一曲となり、また『第37回日本レコード大賞』(1995年)の大賞に輝くなど華々しい成果を挙げた。

 より状況を俯瞰して、小室哲哉のプロデュースワークのBPM分布はどうだろうか。グラフ2は、2018年のコンピレーション『TETSUYA KOMURO ARCHIVES』の選曲を参考にした主なプロデュースワークのうち、1989年から1999年までの10年間の75曲をピックアップしたものである。ひと目見てわかるのは、プロデューサーとして活躍し始めた1994年頃を境にBPMの多様性が増すということだ。とりわけジャングルに取り組んだ1995年から1996年は上は180近く(H Jungle with t「GOING GOING HOME」の176.023)、下は70程度(華原朋美「LOVE BRACE」の73)まで広がる。

 分布を回帰分析にかけて近似をとると、全体的なBPMは徐々に下がっているように見える。時代背景を考えれば、1996~1997年はMISIAや宇多田ヒカルのデビューによってR&B系の女性シンガーが流行する直前。それに先駆けて、「ゆったりとグルーヴするダンスミュージック」としてのヒップホップやR&Bが受け入れられる土壌が醸成されていたものとも考えられる。小室哲哉もそうした動向を敏感に察知していたか、もしくはtrfの戦略を踏まえるならば、むしろこうした動向を用意する役割を果たしていたのではないだろうか。

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