石野卓球とピエール瀧が明かす、電気グルーヴの四半世紀「『N.O.』は今歌っても恥ずかしくない」

電気グルーヴ、主演映画インタビュー

 テレビやラジオや各雑誌やウェブ等のメディア、それも朝のワイドショーや『SMAP×SMAP』にも出演するなど、ドキュメンタリー映画『DENKI GROOVE THE MOVIE? -石野卓球とピエール瀧-』の公開が、ファンを超えたスケールで注目を集めている電気グルーヴ。1989年の結成から2014年のフジ・ロック・フェスティバル出演&ライジング・サン・ロック・フェス出演&ツアー「塗糞祭」まで、25年分の膨大な映像を2時間弱にまとめて電気の歴史を描いたのは、『モテキ』『バクマン。』などのヒット作も、『恋の渦』のようなカルトな傑作も同時に生みつつ活躍中の「東洋一メジャーとアンダーグラウンドの境目のない監督」大根仁。電気に出会ったことで自分の人生が変わってしまったことを自覚しているような濃くしつこいファンが観れば「ズレてない」「わかってる」「でもうっとうしくない」大根監督のセンスにヒザを打つだろうし、逆に「俳優のピエール瀧がやっているバンド」くらいの認識でこの映画に触れた人なら「え、こんなすごい人たちだったの?」とびっくりするだろう。つまり、理想的な電気グルーヴの映画に仕上がっている、ということだ。以下、石野卓球とピエール瀧に、この映画のこと、電気の歴史のこと、そして今後のことまでも含めて訊いた。

「時代背景とかを説明しなくてもすむ監督っていうのは、話が早くていいかなと」(瀧)

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──そもそも映画を作ろうって言いだしたのは、石野さんだったときいたんですけども。

石野卓球(以下、石野):いや、それ、当たってて当たってないというか。そもそも、うちを掃除した時に、ダンボール箱3つ分のVHSテープが出てきたんですよ。それこそ、高校生の頃の人生のライブとか、今回の映画に入ってる初期の電気グルーヴのライブとか、あとテレビに出た時のやつとか、そういうのが山ほどあって、「これ、どうしよう?」って。自分で持ってても家でVHS再生できないし、「これ、デジタル・アーカイヴにするか何かしてよ、もう好きにしていいから」って事務所に持って行ったんですね、じゃまだし。その時に冗談で「映画でも作ったら?」って言ったら……まさか作るとは思ってなかったから。そしたら(マネージャーが)「作りましょう」って言いだして、「じゃあドキュメントでも作ったら、DVDかなんかで」って言ったら、「いや、映画で!」って。それで監督が決まり、ほんとに映画として作ることになって。ミニシアターのレイトショーで2回ぐらいやって、「劇場でやったでしょ? だから映画! はい、DVD発売!」っていうぐらいのもんだと思ったら、意外にちゃんとやるんだな、って驚いてる次第でございます。

──監督を大根仁さんにお願いしたのは?

石野:大根さん、友達として知ってたから。大根さん、川辺(ヒロシ)くんと仲いいじゃない? そっちで知ってて。あと大根さんのテレビ、『美しい男性!』(2009年にBS JAPANで放映されたバラエティ番組。松尾スズキが企画・構成・総合演出、大根仁はディレクターを務め、構成で天久聖一等も参加)は観てた。あれが唯一の、俺の中での大根ワークス(笑)。あと、『湯けむりスナイパー』(2009年にテレビ東京系で放映された深夜ドラマ。大根仁が脚本・演出、主演は遠藤憲一で)も観た。だから、どういう映画を撮る人なのかというより、大根さんなら大丈夫だろう、っていう。あと、説明しなくていいじゃないですか、同じ時代の空気を吸って生きてきた人だから。ウチらに「この頃はどうでした?」とかきかなくてよくて、「この頃はこうだった」っていう視点で編集してくれるだろうから。

──瀧さんは『モテキ』に出ておられますが。

ピエール瀧 (以下、瀧):出てる。まあでも、80年代後半の人生から電気になって十三ファンダンゴでライブをやってる頃とか、90年代初頭の感じとかの時代背景もわかってるだろうし。電気グルーヴのことも見てきて知ってるだろうし、(TOKYO No.1)SOULSETとかスチャ(ダラパー)とかの身近な連中を通して知ってるところもあるだろうし。そういうところで、時代背景とかを説明し始めるとどんどんブレていくというか、「この頃はこういう時代で、こういうものがあったよ」とか説明しなくてもすむ監督っていうのは、話が早くていいかなと。で、ウチらもインタビューに応えてるわけじゃないんで、客観性が必要じゃないですか。そういういろんなところから答えを弾き出すと、大根さんがいいんじゃないかな、という。

「ドキュメントを自分たちで作ることほど、ヤバいことないじゃない?」(瀧)

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──元メンバーやスタッフはインタビューに応えているけど、おふたりはなし、というのは、大根監督が考えたことですか?

石野:大根さん。まあ、最初に「好きにやって」って言った時点で、「こいつら応える気ねえな」と思ったんじゃない?

──そうやって大根監督にまかせて、できあがったものを観て、いかがでした?

瀧:うーん、まあ、そんなにほら、大根さんなりの思いとか、大根さんなりのまとめかたみたいなものが、色濃く出てるわけじゃないじゃん。時系列でどんどん進んでいくし、その途中にパーソナリティーを紹介するアホみたいなムービーがはさまっていくっていう……シリアスだけでもなく、コミカルだけでもなく、っていうバランスの分量だったりとか、そういうところが大根さんカラーなんだと思うんだけど。それはその程度にしてあって、大根さんなりの思いがあまり入ってないのが、うまくまとまった理由なのかなと。ウチらもインタビューに応えちゃうと、「この時のこれはこういうことだった」とか、そういうのが出ちゃうじゃん。この映画は、そうやって正解を探しながら観るものではないだろうし。電気と同じ時期に成長していった人たちにしてみたら、当時が思い出されたりすることもあるだろうし、そこに「観てこう感じるのがしかるべき反応である」みたいな正解って必要なかったりするでしょ。

石野:もしこれに本人たちのインタビューも入ってたら、NHKのドキュメントっていうかさ(2009年にNHK BS2で放送された『電気グルーヴ 20周年ライブ&アンソロジー』)。そういう感じになるんじゃない?

瀧:インタビューで自分なりの見解を入れるってことは、「今、こういうふうに見られたいから、こういう感じでまとめてくんねえかな」みたいなのが出ちゃうと思うから。ドキュメントを自分たちで作ることほど、ヤバいことないじゃない?

──でもあのNHKのドキュメント、すごくいい番組でしたよ。「これ、電気に愛と理解のある人が作ってるなあ」ってわかる内容で。

石野:でもあれ、恥ずかしい。今回のこの映画だって恥ずかしいんだもん。NHKの時はさ、自分たちで語らなきゃいけなかったのはわかるし、あれはテレビだったからまだいいけど、今回は映画だから残るものじゃない? うちらにインタビューとかしなくて大正解。ふざけててもまじめでもヤベえっていうか。……あ、でも、さっき気づいたんだけど、この映画ってね、ピエール瀧っていう役者の映画っていう、二次災害?

瀧:(笑)二次災害じゃない。副産物?

石野:二毛作(笑)。っていうのもあるよね。

「テツandトモになった。『なんでだろう』やりに来ましたよ、っていう」(石野)

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──大根監督はこの映画を、2014年のフジロック・フェスティバルのグリーン・ステージでのライブを軸にして構成してるじゃないですか。あのライブっておふたりとも手応えありました?

瀧:よかった気がする。楽しかったよ。

石野:ツアーのちょっと前で、そのツアーを凝縮したような感じだったの、ステージセットも内容も。その前のフジのライブの映像も入ってるけど……久しぶりにライブやった、(サポートメンバーで)KAGAMIがいた時ね(2006年)。あの時は、期待を背負ってるというか、自分たちもまだぎこちないというか。緊張してんだよね。

瀧:2006年の時は、それまで活動休止してて、まだ助走期間の頃にいきなりグリーン・ステージを任されて、出すものが明確でないままやらなくちゃいけない、でもなんとか期待には応えなきゃいけない、っていう。2014年の時はそういう不安はなくて、それまでのフェスで仕上げたあとにドーン!っていうライブだったから。

石野:楽しんでやれたよね。

──その2006年の時って、初めて、過去の代表曲やヒット曲を並べたライブでしたよね。それまで電気はそういうライブをやらなかったので、びっくりしたのを憶えてます。

石野:何か考えてそうしたわけじゃないけど、それはやらないのは「BLUE MONDAY」をやんないNEW ORDERみたいなさ。そこで新しい機軸を見せるんじゃなくて、きみたちの伝統芸能を期待して呼ばれてるんだから、それに応えなさいよ、っていう。

瀧:あとフェスは、自分たちの考えを述べる場というよりは、その場に集まってるお客さんたちの1時間なら1時間を楽しませる、っていうようなところがあるだろうから。

──でも、2006年以前、活動休止までは、そういうライブはやらなかったですよね。

石野:その時は、そういう曲よりも、見せたいこととやりたいことがあったから。ダンス・ミュージックの部分をもっと出したかったから、そこに昔の曲が入り込む余地がなかっただけ。でも、そういう実験はある程度の答えが出たから、じゃあもうみんなが望んでるものをやりましょう──そうなったね。テツandトモになった。「『なんでだろう』やりに来ましたよ、っていう。

瀧:「ダメよーダメダメ」をやんない感じっていうか、「それだけじゃないんだぞ」っていう感じ、あるじゃない? プライドみたいな。そういうところを探ってた時期もあったけど、それは90年代後半から00年代の頭で一回落ち着いて。活動休止をはさんでまた出て行く時に、自己紹介じゃないけど、「電気グルーヴ、こういうものです」っていうので、そういうライブをやるようになったのかもしれないね。

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