『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』マーティン・スコセッシの試みにリスペクトの拍手

スコセッシの大胆な試みにリスペクトの拍手を

 映画にしろ、小説にしろ、サイコパスによる血なま臭い凶悪事件はたいていの場合、近代の大都市の片隅でおこなわれる傾向がある。歪みきった近代人の異常性、そして道徳と秩序を失った大都市の闇こそが事件発生の背景であるように描かれる傾向にある。しかし実際には、血なま臭い凶悪事件は豊かな大自然の中で、燦々と健康的に降りそそぐ太陽光線の下でも堂々とおこなわれる。「人間性を喪失した都会」などといったクリシェ。都会生活に疲弊した誰かが田舎暮らしを始めたとたんに笑顔を取り戻していくなどというクリシェと、人はいつまで戯れているのだろう。

 マーティン・スコセッシが映画作家として長期間にわたりやってきたことは、このようなクリシェに対する破壊行為であった。彼の映画にあって、人間はいつでもどこでも殺人を繰り返してきたからである。現代だろうと古代だろうと、都市だろうと田舎だろうと、真夜中だろうと白昼だろうと、スコセッシはせっせと殺人を描いてきた。それも正義の具現としての殺人(つまり兵士と警察)ではなく、無慈悲な、非人間的な殺人である。そして今回、Apple TV+から与えられた内容面、上映時間面での桁はずれの自由を謳歌しつつ、これまで以上に悪辣な連続殺人を、なんと3時間26分というとんでもない長さで延々と映し続ける。しかもこれが1920年代のアメリカで起こった実話だというのだから痛ましい。石油利権を握る先住民オセージ族の人々が、画面上で一人また一人とあっさり死体に変貌していく。画面内から罪なき人々が次々と去っていき、映画も後半に入ると、憎しむべき疎ましい連中ばかりが画面内を我がもの顔で闊歩している。画面内の生存者の減少を観るための3時間26分である。

 原作は、ノンフィクションライターのデヴィッド・グランが2017年に出版した『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン オセージ族連続怪死事件とFBIの誕生』(邦訳:早川書房)で、デヴィッド・グランの本はこのところ映画企画の宝庫となっている。ジム・キャリー主演のスリラー『ダーク・クライム』(2016年)に始まり、ジェームズ・グレイ監督による傑作の誉れ高い『ロスト・シティZ 失われた黄金都市』(2016年)、デヴィッド・ロウリー監督、ロバート・レッドフォードの引退作『さらば愛しきアウトロー』(2018年)、ローラ・ダーン主演のNetflix映画『炎の裁き』(2018年)、そして今作『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』と、立て続けに彼の著作が映画化されている。さらにApple TV+は今作に続いて再びデヴィッド・グランを取り上げ、トム・ヒドルストン主演で『The White Darkness(原題)』を映画化することを発表済みであり、なんとスコセッシとディカプリオのコンビに至っては、2023年4月に発売されたばかりの新著『The Wager』の映画化権を早くも買い取り済みだというから驚いてしまう。

 デヴィッド・グランによる原作本では、首都ワシントンから犯行現場であるオクラホマ州のオセージ族居留区に派遣されてきたFBI捜査官トム・ホワイトの視点から書かれていた。そして映画化初期においてはこのトム・ホワイトの役をレオナルド・ディカプリオが演じることになっていたそうだが、ディカプリオは連続殺人の犯行組織の一人であるアーネスト・バークハートの役へとスライドし、物語そのものもこの殺人者の視点から描かれることになった。首都からやってきた弱者救済のヒーローを演じる代わりに、卑劣な殺人者を演じたのだ。

 一方、FBI捜査官トム・ホワイトの役はジェシー・プレモンスが演じることになったが、プレモンスの演技はかなり控えめに抑えられている。このスライド措置は、本作がいわゆる「Revisionist Western(修正主義西部劇)」または「Anti-Western(アンチ西部劇)」と呼ばれるジャンルに属するためである。白人男性ヒーローがインディアン(先住アメリカ人)相手に大活躍するたぐいの古典的西部劇を完全否定し、歴史解釈を修正または反転させた西部劇のことを指す。近年ではジェーン・カンピオン監督『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(2021年)がRevisionist Westernの代表例である。

 このRevisionist Western的措置を最優先したシナリオの改変によって、FBIの創設と事件捜査については、今作はかなり後回しにしている。FBI創設者J・エドガー・フーヴァーを他でもないレオナルド・ディカプリオが演じたクリント・イーストウッド監督の最高傑作のひとつ『J・エドガー』(2011年)のことを想起するにつけ、よりいっそう今作におけるFBIの扱いの淡白さが印象に残る。この点について原作者のデヴィッド・グランは、フランスの著名な映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』によるインタビューで次のように答えている。

「もしこの映画が事件をFBI側から追いかけていたら、ありきたりなスリラー映画に終わっていたことでしょう。私はモリー(毒を守られる先住民女性)とアーネスト(主人公/モリーに毒を盛る夫)に焦点を当てるよう提言しました。私にとってモリーとはこのラプソディー(狂詩曲)の魂だからであり、彼女と夫を結びつける奇妙な愛がこの犯罪的狂気を特徴づけているからです」(『カイエ・デュ・シネマ』2023年10月号より 和訳=筆者)

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