『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』マーティン・スコセッシの試みにリスペクトの拍手
デヴィッド・グランは、アーネストがサイコパスではなく普通の人間であって、「私の調査では彼は本当にモリーを愛していることがわかりました」とも述べている。愛する妻に毒を盛る。文明生活に慣れた先住民が悩まされたという糖尿病にかかっているモリー(リリー・グラッドストーン)の太ももに、当時発売されたばかりの高額なインスリン注射を、夫のアーネストが金に糸目もつけずになんどもなんども打つシーンが続く。石油利権奪取をもくろむ彼の叔父ウィリアム・ヘイル(ロバート・デ・ニーロ)がささやく「事件解明を遠くワシントンにまで出かけて嘆願するお前さんの妻をもう少し落ち着かせるために、インスリン注射にこの薬剤も混ぜろ」という嘘見え見えの言葉にころりと騙されたアーネスト。いや、むしろみずからすすんで騙されていく心性を、ディカプリオが全神経を集中して演じているのである。
デヴィッド・グランは続ける。
「悪のありかをウィリアム・ヘイルの人物像だけに限定すると誤りを犯すことになります。(中略)オセージ族のこうむった惨劇は、あるひとりの孤独な悪魔によるものというよりも、沈黙によって維持される共謀の文化と関係があるのです。これらの体系的メカニズムを根絶するのが非常に困難なのは、帳簿上の自身の痕跡を消去する傾向のためです」(『カイエ・デュ・シネマ』2023年10月号より 和訳=筆者)
「沈黙によって維持される共謀の文化」などとグランに言われてしまうと、私たち日本人も心当たりが大いにあって、身につまされる。たとえば芸能界を震撼させている巨大性犯罪について言えば、日本社会もまた「沈黙によって維持される共謀の文化」とは無縁だとは言えないからである。そうした体系的システムを画面に浮上させ、露呈させることが、スコセッシら製作者の意図だったことは間違いないだろう。証言者としての法取引をして保釈されてきたアーネストを、地元の名士たちが揃って出迎え、アーネストに「証言は控えてくれ」と変わるがわる懇願するシーンがある。アーネスト自身、自分がこれほど大勢の地元名士たちから関心をもって接してもらえたのは初めてのことだと思ったことだろう。あのシーンこそ、「沈黙によって維持される共謀の文化」を象徴するシーンであった。
どす黒く陰惨なこの長時間映画にあって、最も輝かしく美を放射するのは、インスリン注射を打たれ続けるモリーを演じたリリー・グラッドストーンの気品溢れる佇まいだろう。まるでレオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザがそこにいるのかと思うほどの高貴な微笑は、私たち観客を魅了する。リリー・グラッドストーンというと、筆者偏愛の作品、ケリー・ライカート監督『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』(2016年)で法学生のクリステン・スチュワートにレズビアン的恋情を抱く牧場の娘を、やはり印象的な微笑とともに演じていたが、少女の面影の残したあの時とは異なり、今作においては、悪が跳梁跋扈するばかりの画面にただ一点だけ真善美のくさびを打つかのような、モナリザ的微笑を浮かべていた。
夫によって徐々に、少しずつ毒殺される妻、といえばなんといっても名匠アルフレッド・ヒッチコック監督の『断崖』(1941年)におけるジョーン・フォンテインや、『汚名』(1946年)におけるイングリッド・バーグマンをすぐに思い浮かべる映画ファンも少なくないだろう。今回のリリー・グラッドストーンはジョーン・フォンテインやイングリッド・バーグマンに匹敵する名演だったと思う。殺し殺される夫婦のあいだでどういうわけか延々と途切れることなく維持されたあの愛情は、なんなのだろう? おそらくそこにはルイス・ブニュエルの映画でなんども描かれたグロテスクかつ倒錯的な愛憎もまぶされている。「Revisionist Western(修正主義西部劇)」をヒッチコック的なサスペンスとともに、そしてブニュエル的な倒錯愛とともに語ってみせようというスコセッシの今回の試みには、リスペクトの拍手を送らねばならない。
■公開情報
Apple Original Films『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』
全国公開中
監督:マーティン・スコセッシ
出演:レオナルド・ディカプリオ、ロバート・デ・ニーロ、ジェシー・プレモンス、リリー・グラッドストーン、タントゥー・カーディナル、カーラ・ジェイド・マイヤーズ、ジャネー・コリンズ、ジリアン・ディオン、ウィリアム・ベルー、ルイス・キャンセルミ、タタンカ・ミーンズ、マイケル・アボット・ジュニア、パット・ヒーリー、スコット・シェパート、ジェイソン・イズベル、スターギル・シンプソン
脚本:エリック・ロス、マーティン・スコセッシ
プロデューサー:マーティン・スコセッシ、ダン・フリードキン、ブラッドリー・トーマス、ダニエル・ルピ
エグゼクティブプロデューサー:レオナルド・ディカプリオ、リック・ヨーン、アダム・ソマー、マリアン・バウアー、リサ・フレチェット、ジョン・アトウッド、シェイ・カマー、ニールス・ジュール
配給:東和ピクチャーズ
画像提供:Apple TV+
公式サイト:kotfm-movie.jp