マーティン・スコセッシの圧倒的な一作 『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』徹底考察
マーティン・スコセッシ監督の『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』は、とんでもない作品だ。「こういう傑作と出会うために映画を観続けてきたのだ」と思えるタイトルは、本当に希少である。映画史のなかでとりわけ大きく、深く刻まれることになるだろう、この圧倒的な一作の何が素晴らしいのかを、ここでじっくり語っていきたいと思う。
ロバート・デ・ニーロとレオナルド・ディカプリオ……言わずと知れた、アメリカを代表する名優中の名優である二人は、それぞれにマーティン・スコセッシ監督とタッグを組み、重要な足跡を残してきた。本作『キラーズ・オブ・ザ・フラワー・ムーン』では、そんな彼らがスコセッシ作品で初めて共演することとなった。
彼らが演じるのは、アメリカ史上最悪といえる卑劣な犯罪「オセージ族連続怪死事件」に関与した者たちだ。ニューヨーカー誌のデヴィッド・グランは、この事件を徹底的に調査し、2017年に本作の原作本を発表した。そこに書かれた内容はあまりにも陰惨で常軌を逸したものだった。
この事件を理解するためには、本作でも説明されている前提背景を知ることが必要だ。アメリカ先住民のオセージ族は、1870年に政府によってカンザス州から移住させられたことで、オクラホマに自らの資金で「オセージ・ネイション」といわれることになる広大な土地を購入し、新天地で暮らしていた。その土地で大量の石油が発見されると、その“受益権”を持つことになった部族は、一気に莫大な富を手にした。
高級な家具を揃えた豪邸を構え、高級車や、お抱え運転手、白人のメイドを雇うなど、当時世界で最も裕福な民族とまで言われた、オセージの贅沢な暮らしは評判となった。しかし周囲の白人たちは、やがて異様な問題提起をするようになっていく。「彼らの生活は贅沢過ぎる」、「もっと計画的に財産を使うべきだ」と。
そんなことは大きなお世話だろう。贅を尽くした生活をする白人の富豪が、このような点をいちいち外野から指摘されるだろうか。“インディアンは知能の低い、劣った存在だ”と蔑視していたからこそ、“なぜインディアンが自分たちよりも裕福になれるのか”という差別感情に基づいた嫉妬心があったからこそ、このような主張ができたのではないのか。
しかしこういった意見に、あろうことか当時の政府が同調し、あまつさえ後押しすることになるのである。オセージ族の多くは“無能力者”だとして、財産を管理する白人の後見人をつけるといった、奇妙な制度を定めたのだ。かくして後見人となった白人たちは、オセージ族の資産に接近できる大義名分を得たことになる。
そこで起こるのは、白人による法を悪用しての搾取や略奪である。「オセージ族連続怪死事件」は、そんな富を簒奪する者たちの犯行がエスカレートし、連続殺人にまで至ったものなのだ。首謀者が地元の名士であることや、先住民への偏見によって、この事件は長い間公平な捜査がおこなわれず、被害者が増え続けていた。
レオナルド・ディカプリオ演じる、戦争帰りのアーネストは、将来の展望がなく、そんなオセージ・ネイションに、叔父のウィリアム(ロバート・デ・ニーロ)を頼ってやって来た。アーネストが挨拶を済ませると、ウィリアムは先住民の歴史や文化が記されている本を貸し与え、「勉強しろ」と命じるのだった。
アーネストが運転手として働き始めると、オセージ族の“無能力者”とされた、モリー(リリー・グラッドストーン)という名の、無能力だとは全く思えない理知的な女性を車に乗せることになる。ウィリアムは裏でアーネストに、「お前は顔がいい」と、モリーにアプローチをするようにけしかける。それをきっかけにモリーとアーネストとの仲は目論見通り急接近し、やがて結婚の日を迎えることとなる。